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COLUMN

連載企画 「Unbreaking PB -失敗レースから学ぶ-」 VOL.2

2022.05.26
Shun Sato

第2回目は、「Breaking Limit」 ~3ヶ月の練習note~でも登場した市民ランナーの海野さん。彼のサブ3.15 挑戦の裏では、何を失敗して何を学んだのだろうか?

第2回「Breaking Limit」 ~3ヶ月の練習note~

海野敬太郎(市民ランナー) 「序盤の出遅れが致命傷に」 ~サブ3.15 挑戦失敗~

レース:第24回長野マラソン(2022年4月17日)
タイム:3時間21分44秒(目標タイム:3時間15分以内)
自己ベスト:3時間18分35秒(千葉パークマラソンin柏の葉/2021年12月11日)

■Before the start (スタート前)
「長野マラソン」の目標は、サブ3.15に設定していました。昨年末に千葉パークマラソンで3時間18分35秒を記録したのですが、そこから約3分半の更新を目指しました。ただ、そのレースで右足のアキレス腱を痛めてしまったのです。最初の3キロ地点で痛めたのですが、やめずに走り続けました。金沢、群馬とマラソンを走り、調整は過去一うまくいっていて、これなら自己ベストを大幅に更新できる自信があったからです。また、痛みがひどくなっていって、しばらくレースは走れなくなりそうだったので、このレースで記録を達成したいという思いもありました。でも、結果的には、その判断を間違えて、今回の長野に大きく響いてしまいました。2週間休んでから、「長野マラソン」に向けて始動しましたが、故障はなかなか治りませんでした。故障前は月間300kmを走っていましたが、故障後は200kmを下回り、悪化するのを避けるため、インターバル走などの高強度の練習は出来ませんでした。走っては痛みが出て、休むの繰り返しで、なんとか走れる状態を維持する感じでした。ただ、できることはやろうと、試走ができなかったのでコースの動画を100回以上見て、SNSのフォロワーさんからも情報をいただいたりして準備はいつも通り出来ていたと思います。

■Start line(スタート)
スタートラインに立った時は不安だらけでした。明らかに練習不足で、右アキレス腱の痛みは、いつ再発してもおかしくはない状態でした。目標を下げて3時間20分、もしくはサブ3.5死守まで落としてもいいかなと思っていましたが、挑戦しないで後悔するよりも挑戦して失敗した方が悔いは残らないと考え、サブ3.15の目標タイムは変更しませんでした。レース戦略は、最初はイーブンを考えていたのですが、コースの前半にアップ&ダウンがあるので、ネガティブスプリットにしました。前半は抑えて30km過ぎから上げていくプランです。過去に完走したフルマラソン9回のうち5度はネガティブスプリットだったので、自分が最も自信がある戦略を採択しました。当日の気象条件は雲一つ無い快晴で、スタート時の気温は7℃。ただ、日中は15℃を超えて、日差しと風が強まる予報でした。

■スタート~5km
スタート時、僕はCブロックで一番うしろにいました。そのブロックのペーサーがサブ3なので、それだとオーバーペースなってしまいます。Cブロックの後ろには、サブ3.15のペーサーがいたので、それを利用しようと思い、最後列からスタートしたのです。でも、道が狭いので列が縦長にならなくて、なかなか前に行けず、失敗しましたね。金沢マラソンはウェーブスタートだったのですが、長野マラソンはノーマルで一発スタート。コロナ禍の影響でウェーブが増えて、そのスタートに慣れてしまっていたのも大きかったですね。最初の1キロは、金沢の時は4分40秒で速すぎるレベルだったのですが、この時は渋滞による影響で5分を越えてかなり遅かったです。この5キロは、リズムが悪く、なんとか立て直さないといけないと焦りもあり、大幅なタイムロスになってしまいました。

■5km~10km
混雑はかなり解消されたのですが、ここからは登坂が続きました。5キロまでの遅れを取り戻したかったのですが、登坂でペースを上げると体力が消耗してしまう。そのため自重したのですが、走りのリズムが悪くて、当初、考えていたレースプランとは全然違う展開になっていました。今、思うとここで少しでも挽回し、自分の走りを取り戻すために思い切ってペースを上げて行ってもよかったのかなと思います。

■10km~15km
平坦なコースに入って徐々に走りのリズムが良くなり、ペースが安定してきました。設定ペースのキロ4分40秒台をコンスタントに刻むことが出来たので、ここの区間だけですね、イメージ通りの走りができたのは。

■15km~20km
中間地点の千曲川にかかる五輪大橋があるのですが、そこがネックだというのは聞いていたので、飛ばさないように抑えていこうと思っていました。動画で何回も見て、イメトレは出来ていたのですが、実際に走ると、想像よりもはるかに傾斜がきつかった。橋の長さは1キロもないのですが、その前後があるので、かなり長く感じましたね。ここでペースが落ちて、タイムが上下してしまったのは、かなり痛かったです。

■20km~25km
ハーフの通過タイムは1時間40分45秒。設定したスプリットタイムよりも約3分の遅れでした。序盤のノロノロスタートとペースをなかなか上げられなかったのが原因です。この時点で、目標達成は難しい感じになっていました。インスタでサブ3.15を狙うと言ったのですが、もし言っていなかったらイーブンで流していたと思います。でも、言った以上は、目標をクリアしたい。余裕度はなかったですけど、ここからまくしかないと考えました。当初は30キロ過ぎからペースアップする計画でしたが、そのタイミングからだとサブ3.15は確実に間に合わない。ただ幸いなことに、ここまで足の痛みが全然出なかったのです。そこで計画を変えてハーフからのロングスパートに切り替え、この5キロは、4分30秒ペースでいけました。

■25km~30km
20キロからペースを上げました。ネガティブスプリットで上げていく時のタイムは、4分30秒なのでキツさも感じず、体の負担もありませんでした。レース前の懸念材料だったアキレス腱の痛みは出なかったです。でも、28キロを通過したところで、「きたー」という感じでしたね。レースの3週間前に30キロ走をしたのですが、28キロ過ぎに痛みが出たのです。その時とまったく同じ状態でした。悪化させたくないので接地を柔らかくして、ピッチ走法に切り替えて、ペースを落としました。でも、1度痛みが出てしまうと軽減されることはなく、痛みがどんどんひどくなって・・・。アキレス腱を痛めたレースの時は、3キロ地点で痛みが出て、残り39キロは本当に苦しかった。あの痛みを抱えて、まだ14キロも走らないと思うとかなり憂鬱でした。

■30km~35km
30キロ以降は千曲川の堤防を走り続けます。土手の橋を通過する度に地味なアップダウンがあり、ボディーブローのように効いてきました。気温もかなり上がり、頭から水をかけている人もいましたね。右アキレス腱は痛みがひどくなり、接地する度に激痛が走りました。それでも頭の中ではタイムの計算をしていました。ペースはこの時、キロ4分50秒台までガクンと落ちるのですが、このままいくとどのくらいのタイムになるのか。同時に、「歩きたい!」という衝動が何度も頭の中をよぎりましたが、マラソンは最後まで走り続けるものという信念もあり、その葛藤が続いていました。

■35km~40km
千曲川を往復する感じで、戻るところが向い風なのでなかなか前へ進めませんでした。しかも正午が近づくにつれて直射日光が強まり、体力を削ぎ落としていきました。ペースはさらに落ちてキロ5分がギリギリの状態でしたね。この時点でサブ3.15は絶望的になり、目標を見失いました。給水の時など何度も歩きたい衝動に駆られましたが、マラソンで歩いたのは11回走った中で1度だけ。リタイアしたレースの時歩いたので、自分の中では歩いた時点でリタイアなのです。だから、絶対に歩かないという意地だけで走っていました。

■Goal(ゴール)
最後は右アキレス腱の痛みが限界を超えて、感覚がなくなっていました。身も心もボロボロの状態でしたね。それでもいつものように笑顔でバンザイしながらゴールしました。大会を支えてくれたボランティアスタッフと沿道で応援してくれた地元の方たちへの感謝の気持ちがあったからです。目標タイムをクリアできなかった悔しさがありましたが、100%の状態で戦えなかったことが一番つらかったですね。そういう意味では、スタートに立った時点で負けていたのかなと思います。フィニッシュタイムは3時間21分44秒。目標のサブ3.15には遠く及ばず、完敗でした。

■第24回長野マラソン(2022年4月17日)
00~05km…4’57″/km
05~10km…4’42″/km
10~15km…4’44″/km
15~20km…4’47″/km
20~25km…4’30″/km
25~30km…4’42″/km
30~35km…4’50″/km
35~40km…4’57″/km
40~42km…5’01″/km

前半…1:40’45” 4’47″/km
後半…1:40’59” 4’47″/km
合計…3:21’44” 4’47″/km

教訓(1)「100%の練習でレースに挑む」
故障する前は、月間で300キロを走っていましたが、故障してからは200キロも行っていません。インターバルもそれまで1000mを15本とかやっていましたが、まったくできなかったですね。やるとアキレス腱痛が出て、1週間くらい休まないといけなくなるので、怖くてできませんでした。スピード練習、ロング走はできず、練習でできたことと言えばペース走くらい。通常の70%程度の練習量で鍛えることができていなかったですし、悪化させず、維持するのが精いっぱい。それでは不安なく、自信を持って走ることは難しい。100%の練習なしで、高い目標をクリアできるほどマラソンは甘くないですね。

教訓(2)「入りの5kmの重要性」
レースは序盤の展開が結果を左右すると云われます。「長野マラソン」ではスタートから5kmを出遅れたことで、自分のイメージと乖離してしまい、焦りが生じてきました。走りでも自分のペースが作れず、メンタルもきつくなります。結果的にこの時の遅れが致命傷になり、レース戦略を狂わせました。最初の5キロは慎重に入らないといけないですし、スタートでのポジションも真剣に考えないといけないですね。

教訓(3)「やめる勇気をもつ」
長野マラソンは、最後まで走り切ったのですが、その代償は非常に大きかったです。レース後、あまりにも痛くて階段の上り下りさえつらく、1ヵ月間、完全にランオフせざるおえない状態でした。正直なところ千葉パークマラソンの3キロ地点でアキレス腱の痛みを我慢して最後まで走ったことは、長野マラソンに向けては、何もプラスに働くことはなかったです。練習は満足に出来ず、精神的にも不安しかなかった。今、思うと3キロでやめるべきでしたね。そこでやめていれば長野マラソンは、もう少しいいい状態で走れたのかなと思います。後悔という言葉はあまり使いたくありませんが、今、同じ状況なら100%やめています。今後は、この経験を活かして、痛みを我慢して走るのではなく、次につなげるために「やめる勇気」を持つことも大事だなと思っています。

教訓(4)「失敗しても前を向く姿勢が自分を成長させる」
私は失敗をした時とことん原因を追究します。「なぜ失敗したのか?」、「どうすれば改善出来るのか?」、常に自問自答を繰り返しながら、マラソンに取り組んできました。この積み重ねがランナーとしての成長に繋がっていると感じます。出来れば失敗はしたくありませんが、失敗しない人生などあり得ません。今回、失敗してしまったことは消せませんが、その経験は今後に必ず活かしていきたいと思います。

〈今後のスケジュール〉
長野マラソンから1ヵ月休み、その後、練習を再開しました。今のところ、アキレス腱の痛みはないので、徐々に練習の質と量を増やしていきたいと思っています。秋には、サブ3.15を必ず達成したいですね。今、エントリ―しているのが金沢マラソンです。当選したら、それが秋の最初のレースになります。あとは、青島太平洋マラソンを走りたいと思っています。これは先着順なのでクリック合戦になりますが、出場できたら青島を本命レースにして、そこにピークをもっていきたいと思っています。冬は、別府大分毎日マラソンを最優先に考えています。今年は一般ランナーが出場できず、全員持ち越しになりましたので、来年の出場は厳しいかなと思っています。ただ、せっかく金沢マラソンでカテゴリー4の権利を得たので、募集があれば応募して出場したいですね。究極の目標は、別大でサブ3達成なので。

新連載企画 「Unbreaking PB -失敗レースから学ぶ-」 VOL.1

Shun Sato
佐藤 俊
北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て93年にフリーランスに転向。現在はサッカーを中心に陸上(駅伝)、卓球など様々なスポーツや伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。著書に「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「駅伝王者青学 光と影」(主婦と生活社)など多数。
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