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COLUMN

新連載企画 「Unbreaking PB -失敗レースから学ぶ-」 VOL.1

2022.05.12
Shun Sato

今回より始まった連載企画「Unbreaking PB -失敗レースから学ぶ-」では、目標に向かって練習や努力はしたものの、目標を達成できなかったプロランナーや市民ランナーの経験を語ってもらっている。登場人物の失敗の原因やそこからの学びを読者の皆さんに生かしてもらえたら幸いだ。第一回目に登場してくれるのは、プロランナー・神野大地さん。箱根駅伝では無敵を誇った、三代目・山の神は、いったい何を失敗し、何を学んだのだろうか。

神野大地(プロランナー) 「失敗は、達成したい目標に近づくための道程」

レース:第76回びわ湖毎日マラソン(2021年2月28日)
タイム:2時間17分56秒(目標タイム:2時間10分以内)
自己ベスト:2時間09分34秒(防府読売マラソン/2021年12月9日)

■Before the start (スタート前)
前年の福岡国際マラソン(2020年12月6日)で途中棄権し、その後、体調を崩した影響もあってびわ湖毎日マラソンに向けて練習を開始したのが1月に入ってからでした。練習を始めて2‐3週間後、左足踵が痛くなったのですが、我慢しながらもいい練習ができていました。レース3週間前の20キロ走では、59分30秒でけっこう余裕を持って走れていたので、「いけるかな?」という手応えもありましたね。ただ、痛みがあったので、ポイント練習のために今日はこのくらいでやめておこうと思い、ジョグで攻め切れていなかったので、そこに不安を感じていました。

■Start line(スタート)
スタートラインに立った時は「いける」が30%、「2時間10分前後にまとめられるかな」が30%、「不安」が40%だったのですが、それ以上に恐怖心がありました。僕は、過去、失敗したマラソンが多く、しかも東京マラソン(2020年3月1日)、そして福岡国際と連続してきついレース、失敗したレースが続いていたので、どうしてもマラソンへの恐怖心を拭えなかったんです。この時もスタートラインに立った時、「また失敗したらどうしよう?」という恐怖心が20%くらいありました。

■5km
スタートして1キロで、すでに感覚が違うなって思っていました。マラソンでは、最初重くても後半にペースがハマってきて結果を出す人もいるのですが、僕はトラックも駅伝も最初から調子が良くて、「いける!」と思ってレースを進めていった時に結果が出ていたのです。この時は、キロ3分のペースが早く感じられて、最初からおかしかった。実際、レース後に映像で自分の走りをみたら練習の時と全然違う走りをしていました。それは、多分これまでマラソンで結果が出ず、今回もそうなってしまうんじゃないかという不安やプレッシャーが重なっていたからだと思うのですが・・・、冷静に走るみんなの中で、僕だけ焦ってバタバタした走りになっていて、1キロからすべてが噛み合っていなかったですね。

■10km
5キロを越えても何も変わらず、10キロの段階でも「きついな」、「なんか違うな」と思いながら走っていましたし、レースの集団もすごく大きくて、走るポジションも落ち着かなかったですね。でも、キロ3分ペースでは練習してきているので、ここで離れることはあり得ないと思っていましたし、実際に10キロまでは集団にしっかりとついていました。

■15km
15キロまでは、なんとかついていったのですが、16キロくらいで離れ始めました。練習では20キロを59分30秒で走れていたので、どんなに悪くても20キロまではいけると思っていたのですが・・・。ただ、15キロ過ぎにいきなりきつくなったわけじゃないのです。1キロからきついなって思っていて、その小さな我慢がずっと続いて、重なって、大きく膨らんだ結果、遅れてしまったのです。頑張るというエネルギーを100持ってスタートしたとすると、みんなは30キロ以降にそれを使うのですが、僕は最初の1キロから使い始めて15キロの段階でそれを半分以上使い切っていた感じです。後半、まだ30キロ近くあることを考えると、気持ち的にその時点で引いてしまいました。

■20km
きつかったのは、心肺ですね。この時は、心肺が70%、脚のダメージが30%くらいでした。例えば市民ランナーがエリートランナーから離れていく時は、心肺がきつくなることが多いのです。逆にエリートランナー同士の争いでは、30キロ過ぎに脚にダメージが来て遅れてしまうことが多い。この時、僕はキロ3分ペースで15キロ過ぎから遅れ始め、ずっと心肺がきつかった。気持ちの動揺や焦りが心拍数を上げていたのだと思います。

■25km
「諦めずに最後まで走る」ということがマラソンではよく言われます。僕もこの時、確かに諦めず走っていましたが、目標タイムをクリアするのは「もう無理だな」と思っていました。この段階できつくて遅れていると、これから回復してもう1回先頭集団に戻るというのはまずマラソンではないのです。諦めずに走っていますけど、気持ち的にはレースからは離れている感じでした。

■30km
先頭集団から離れていく中で、脚がどんどんきつくなって、腹痛が出てきました。福岡国際では28キロで途中棄権したのですが、このレースの時は、そのことが頭をよぎることはなかったです。前回、途中でやめているので、ここでまたやめたら自分から逃げるような気がしたので、どんなに遅れてもレースをやめようとは思わなかったですね。

■35km
もう1キロ、1キロ、特に何も考えずに走っていました。普通なら「1秒でも早く」って感じだと思うのですが、正直この時は、そういうことも考えられず、ただ無の中で1キロずつゴールを目指して走っていました。

■40km
つらい無の中で走っていました。気持ち的に相当追い込まれて、もうどうしようもないって感じです。大げさに聞こえるかもしれないですが、このまま死んでもいいかなくらいに思っていました。このままゴールしてもタイムはよくないし、周囲から賞賛されることもなく、むしろ厳しい声が飛んでくるだけじゃないですか。何もいいことはないですけど、そこに向き合わないとダメだと思い、最後の力を振り絞っていました。

■Goal(ゴール)
ゴールしてよかったと思いましたね。ゴールすることで周囲の反応が棄権した時とは全然違いますし、僕にとってタイムは悪いし、どうしようもないマラソンになりましたけど、最後までレースに向き合うことができた。もっとも終わった後はマラソンに対してめちゃくちゃ自信をなくしたレースになりましたし、もうマラソンはやりたくない、マラソンから離れたいというところまで追い込まれました。正直、次何をどう頑張ればいいのかわからなくなっていました。でも、ドン底に落ちようが挑戦し続けるのが自分のスタイルですし、それを継続しないとこれまでやってきたがウソになってしまう。もう1回、マラソンランナー神野大地として「頑張るぞ」という覚悟を決めたレースでもありました。

教訓(1)「自分の中でやったという自信を持つ」
マラソンで結果を出すには練習やその内容も大事ですけど、一番大切なのは自分の中でこれをこれだけやってきたんだという自信を持つことだと思います。マラソンで「苦しい」と思った時、自分はこの練習をこのくらいやってきたのだから絶対に大丈夫だと思うのと、びわ湖毎日マラソンの時の僕のように、練習で少し攻めきれなかったと思うのとでは、我慢できるレベルが違ってきます。トラック競技だと苦しいタイミングが1‐2回起きても「あと2000m頑張れば」と思って走れるのですが、マラソンは長いですし、そういう波が何回も起きて、それを乗り越えた先にしか結果が出ない。その波を我慢し、乗り越えるために、自分の中でこれだけやってきたんだという自信がレースには必要だと改めて思いました。

教訓(2)「失敗は、うまくいくための道程」
びわ湖毎日マラソンのレースに限らず、その前の東京マラソン、福岡国際でも失敗し、1年間、レースでは結果が出ませんでした。でも、びわ湖毎日マラソンから10ヶ月後の防府読売マラソンでサブテンを達成し、総合2位になり、MGCの権利を獲得することができました。その時、思ったのは、どんなにうまくいかないことがあっても、それは最終的にうまくいくための道程だということです。怪我したり、レースで失敗したり、いろいろあるけれど、それはその先にいい方向に向かっていくために起きていること。それはエリートも市民ランナーも同じです。失敗しても結果が出なくても自分が達成したい目標にはそれでもちょっとずつ近づいているので、決してあきらめないことです。

Shun Sato
佐藤 俊
北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て93年にフリーランスに転向。現在はサッカーを中心に陸上(駅伝)、卓球など様々なスポーツや伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。著書に「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「駅伝王者青学 光と影」(主婦と生活社)など多数。
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