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COLUMN

連載企画 「Unbreaking PB -失敗レースから学ぶ-」 VOL.7

2022.08.04
Shun Sato

漠然とサブ3が達成可能と考えていたレースで大失速した吉田さん。そこで変わった意識と学んだこととは? さらに広がるこれからの目標とは。

吉田尚平(市民ランナー) 「逸る(はやる)気持ちをコントロールする」 


レース:古河はなももマラソン (2018年3月11日)
タイム:3時間01分09秒 (目標タイム:2時間59分)
自己ベスト:2時間34分15秒 (東京マラソン/2022年3月6日)

■Before the start (スタート前)
2018年の古河はなももマラソンを走る前、最後に走ったレースは2017年の東京マラソン(3時間07分)でした。初マラソンは2013年の東京マラソン。当時は日常的にランニングをしていたわけでもなく、大会に当選したから練習しよう、というような感じでした。それ以降も、陸上経験もなく練習の仕方も分からなかったため我流で走っていました。友人と皇居ランをしたり、自宅の周囲を走ったり、マラソンの2ヵ月前くらいからちょっと走る量を増やす程度。月間100~150キロくらいだったと思います。2018年の古河はなももマラソンは約1年ぶりのレース。その間、計画的に練習をしたり、調整のためのレースなどに出ることもありませんでしたが、それでも自分なりに練習しているつもりでいましたし、友人からも「いける」と言われ、レース前は「サブ3達成できる!」を楽観していました。

■Start line(スタート)
レース当日は晴れていて、今思うと若干暑かったですが、気象条件などはそこまで気にしていなかったですね。そもそもレース経験が浅く、暑い寒いなどの比較対象も無かったので…(笑)。自分の調子の良し悪しも正直よく分かりませんでしたが、「まぁいけるだろう。」と根拠のない自信だけはありました。それまでに4~5回マラソンを走って毎回PBは更新していましたし、日頃からフットサルなどもやっていたので、体力に自信があったからです。「30キロの壁」も未経験だったため、怖いもの知らずでスタートラインに立っていました。

■スタート~20km
スタート直後、キロ4分ペースで走る集団が出来て、そこについて走りました。設定のサブ3ペースよりはだいぶ速かったですが、貯金が作れるという思いもあったし、アドレナリンも出ていたので、身体が軽く20キロまではまったく問題なく走れていました。

■20km~30km
ハーフを超えると少しずつ足が重くなってきて、集団から遅れ始めました。それでも急激にペースダウンするのではなく、落ちながらも粘れている感じもありました。この辺りから単独走になり、タイムを徐々に下方修正していくのですが、それでもまだサブ3はいけると考えていました。

■30km~35km
30キロを超えてからは、急激にペースが落ちました。心肺は平気でも、脚が動かなくなってしまって…。疲労した時の対処法や補給のこともよく知らず、ただただ必死に前だけを見て走ってはいましたが、時計を見るとサブ3ペースを下回っていたのでここで少し焦りが出始めたと思います。

■35km~40km
35キロからは、とにかく地獄でした。まったく前に脚が出ないので、歩いているのと変わらないような感覚に陥りました。それでももがきながらなんとか前に進もうとしているのですが、年輩のランナーや女性のランナーにも次々に抜かれてしまって(苦笑)。一番心を折られたのは、40キロを超えてからの沿道の声ですね。「がんばれ、がんばれ!! まだサブ3いけるよ。」と声をかけられて頑張ろうと思った瞬間、「あっ、でも、やっぱりキツいか。」って言い直されたんですよ(笑)。そのひと声はかなり堪えましたね。「もうダメだ!」みたいな気持ちになってしまいました。

■Goal(ゴール)
ラスト1キロくらいで陸上競技場が見えました。普通は終わりが見えてくると少しは元気になったりするじゃないですか。でも、その時は脚を完全に使い果たしてしまい、ペースを上げることがまったく出来ませんでした。4分30秒くらいでいけばギリギリでサブ3だったのですが、時計を見るとキロ5分ペースを軽く越えていたので、完全に戦意喪失。「さっさとゴールして終わらせたい。」の一心でした。トラックに入って1周している間に3時間を超えたことが何より悔しかったです。ゴールした時には、足が鉛のように重く、座るのもキツい状態でした。

■古河はなももマラソンとつくばマラソン(2018年11月25日・2時間54分08秒:初サブ3)の比較

  古河はなももマラソン つくばマラソン
 5㎞   19:42  19:59 
 10㎞   19:54  20:10
 15㎞   19:55  20:25 
 20㎞   20:22  20:23 
 25㎞   20:51  20:25
 30㎞   21:14  20:42 
 35㎞   22:50  21:04
 40㎞   24:27  21:38
 Finish   11:38  9:14

教訓(1)「マラソンにはマラソンの練習が必要」
苦しいレースが終わった後にまず思ったのは、当たり前ですが、マラソンはマラソンの練習をしなければいけないということ。それで、翌月からさっそく練習会に参加するようになりました。実は、この大会の1ヵ月半前、新宿シティハーフマラソンに出場していたのです。その際、男性のランナーさんに声をかけられ、「よかったらうちの練習会に来ないか。」と誘っていただきました。その時は、はなももマラソンも迫っていたので練習会には参加しなかったのですが、サブ3出来なかった屈辱もあり、大会が終わり翌月には「小金井おじ練(小金井公園おじさん練習会)」に参加させていただきました。いざ参加してみると、みなさん、40代、50代でサブ3を達成されている方ばかり。本当に強いチームで、もちろん練習もきつかったのですが、そこでいろいろなことを教わり、成長することが出来たと感じています。サブ3を達成できなかった悔しさが本気でマラソンをやるように導いてくれた。その意味で、このレースは自分にとってすごく大きかったですね。

教訓(2)「逸る気持ちをコントロールする」
サブ3を達成できなかったのは、大前提として練習不足がありますが、スタートからオーバーペースで突っ込んでしまったのが大きな要因だと感じています。スタート直後は、アドレナリンも出ているのでついつい速いペースになりがちです。この時もサブエガの集団について設定よりも15秒も速かった。それじゃ最後までもつわけがないですよね。現在、僕は数名の市民ランナーの方にコーチングをしているのですが、レースの際には「どんなに身体が軽くても、前半はタイムじゃなく、体力を貯金するように。」と伝えています。みんな、後半の失速を恐れて貯金を作りたくなると思いますが、脚を使い果たしてしまったらそんな貯金はあっという間になくなります。失速には抗えない。だから、最初は抑えて、気持ち良いペースよりも少し我慢して、遅く走るくらいがいいと思っています。


〈今後の目標〉
秋のレースは、8月に北海道マラソン、10月に北海道別海町パイロットマラソン、10月末に金沢か水戸漫遊、11月につくば、12月には防府読売マラソン、Beyondと連戦です。年内は6本予定していますが、すべて全力というわけではなく、友人のペーサーをしたり、距離走の一環として走る予定です。年明けは、別府大分と東京マラソンが決まっています。大本命は、東京マラソン。ここで2時間30分を切りたいと考えています。そのために、今は5000mや10000mなどのスピードを身につけて、来年に繋げていきたいと思っています。

僕は、もともとトレーナーや鍼灸マッサージなど身体に携わる仕事をしているのですが、自分の身体を実験台にしていろんな練習やケアに取り組んでいます。自分の治療もしますし、栄養学なども勉強しています。ただ走るだけではなく、運動・栄養・休養、すべて含めてマラソンのトレーニングだと捉えています。そのなかで得られた成功体験や失敗をみんなに伝えていきたいですね。その一つの取り組みとして、現在のベストが3時間15分前後の女子を大阪国際女子マラソンに出場させるというプロジェクトも行っています。自分のサブ2.5達成はもちろんですが、それと同じくらい、今は彼女たちが国際ランナーとして晴れ舞台に立てるよう全力でサポートしたいと思っています。

連載企画 「Unbreaking PB -失敗レースから学ぶ-」 VOL.6

Shun Sato
佐藤 俊
北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て93年にフリーランスに転向。現在はサッカーを中心に陸上(駅伝)、卓球など様々なスポーツや伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。著書に「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「駅伝王者青学 光と影」(主婦と生活社)など多数。
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