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COLUMN

海外マラソンエキスパートが語る、海外旅ランのススメ

2018.03.19
Kazuya Yokosawa

皆さん、初めまして。私はイチ市民ランナーの横澤和哉と申します。
この度、“海外マラソンエキスパートが語る、海外旅ランのススメ”というテーマで、この場をお借りして皆さんに情報提供させていただくことになりました。今回は記念すべき第1回目になりますので、簡単な自己紹介をさせていただきたいと思います。

2013年4月から海外マラソンを重ね、海外ではフルマラソン20レース、ハーフマラソン3レースを完走。世界のマラソン参加を通して得られる瞬間に魅了され、今では年に数回、海外マラソンに参加しています。日本でも毎週のように全国で素晴らしい大会が開催されています。マラソンを走るだけでもハードルが高い、ましてや、海外まで走りに行くなんてなおさら。そんな方がほとんどかもしれませんね。フルマラソンなら、日本でも海外でも距離は42.195km。それなのに、敢えて海外まで走りに行くのはなぜ? というのが率直なお気持ちでしょうか(笑)

私は、中学・高校時代はテニス一色でしたが、高校卒業後にふとしたことからフルマラソンに挑戦。初マラソンは2006年3月の東京・荒川市民マラソン(板橋Cityマラソン)に練習ゼロ、気合いだけで臨みました。15km地点から全て歩くはめになり、2度と出るものかと6:17:46でゴールに転がり込んでから早12年。2018年2月末現在、フルマラソンの自己ベストは初マラソンの半分以下のタイムになり、これまでに100kmウルトラ2レース、フルマラソン50レース、ハーフ15レースを完走できました。

 

WMMコンプリート。5週末連続でフルマラソン完走。

2016年4月のロンドンマラソンでは、“World Marathon Majors”(世界6大マラソン)をコンプリート。2017年秋は5週末連続でフルマラソンを完走(ぐんま⇒岡山⇒バンコク⇒つくば⇒シンガポール)。1週目と4週目で自己ベストを更新するなど、強弱つけながら国内外で年間15レース近くをこなし、ASEAN東南アジア諸国連合に加盟の10カ国のマラソンも残すはインドネシアのみとなりました。

   

振り返ると、10代のときに書き連ねた20代でやりたいことリストに、シカゴマラソン出場がありました。2002年秋、シカゴマラソンでのハヌーシ選手(米国)が世界記録を樹立した走りの映像を見た瞬間。遠い世界の映像でしたが、自分もそんな場に立ってみたいとなぜか漠然と感じたのがきっかけでした。それから11年、迎えた2013年は20代ラストイヤー。やりたいことリスト実現のため実に4年ぶり8回目のフルマラソンをシカゴで出場することを決意。英語のウェブサイトと格闘し、早朝3時からのクリック合戦(2014年以降は抽選)も何とか突破。この瞬間こそが止まっていた歯車がまさに動き始めた瞬間でした。

シカゴマラソン2013では練習に練習を重ね、サブ4での完走を目標に号砲とともに勢い良くスタート。順調にランを重ね、中間地点までハーフマラソン自己ベスト以上のタイムで走り続けた前半戦。ところが…太平洋を横断し、シカゴまで来たのに泣きながら歩くことしかできなかった26~29km…。そんな苦難を経て、29kmから奇跡の復活の走りで、5年前のPBを30分更新する4:11:41で完走。

マラソンは努力が結果に比例するフェアなスポーツだと、当たり前の事実に気づけたゴールの瞬間。と同時に、大歓声の中を駆け抜けた感動と、目標に近づきながらもサブ4にあと一歩届かなかった悔しさ。そして、例え米国の大会でも、週末だけで弾丸で行けるミラクルに気づいてしまったサプライズ。これら全てが次の海外マラソン挑戦に向けたとてつもなく大きなモチベーションとなりました。

そんな私が次に挑戦することを決めたのは、世界最速コースを誇るドイツのベルリン。前年2013年の男子世界新記録樹立を経て、さらなる更新を信じるベルリン2014年の大観衆。大惨敗の言い訳を考えながらゴールした私を横目に、デニス・キメット選手が世界新記録を樹立。世界新記録樹立の願ってもない最高の瞬間に、時を同じくして駆け抜けた感動ものの瞬間でした。

   

シカゴ・ベルリンときたら、記録狙いが目的か? と感じる方もいるかもしれませんね。もちろん記録狙いの大会もありましたが、多くは記録を狙わない旅ランを重ねてきました。極寒の中を駆け抜けたニューヨークシティマラソンやキエフマラソン。猛暑の中を駆け抜けたクアラルンプールマラソンやダナンマラソン、バンコクマラソン。そして私の国内外のマラソン史上最強、いや、最恐の激坂を駆け抜けたウラジオストクマラソン。

 

一つひとつの瞬間が、大会の完走記録以上に思い出深く私の心に刻まれています。

時に脱水症状になったり、時にスタート時刻に間に合わなかったり、時に帰国便に乗り遅れそうになったり…。これらはほんの一例であり、どんな大会でも、スリリングな経験と出会いを重ねてきました。そして、それら一つひとつの瞬間が、大会の完走記録以上に思い出深く私の心に刻まれているのです。

この「海外マラソンエキスパートが語る旅ラン」では、私が参加した海外マラソンの記録を通じ、マラソンのみならず、ローカル情報について、市民ランナー目線で感じたことを執筆していく予定です。私の記事を通じ、皆さんに海外マラソンの魅力を感じていただくこと。物理的には遠い海外マラソンであっても、心の中では海外マラソンが少しでも近いものになり、自分も走ってみようと考える方が一人でもいらっしゃること。そして、海外マラソンで感じた喜怒哀楽を笑顔で語り合える日がくることを願っています。

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Kazuya Yokosawa
横澤 和哉
中学・高校時代はテニス一色、大学時代からマラソンに挑戦。これまでフルマラソン54回、ハーフマラソン15回完走し、2016年4月のロンドンマラソンで日本人39人目のWorld Marathon Majorsを制覇。ASEANマラソンコンプリートに王手。普段は味の素株式会社において研究員として従事している。 海外フルPB 3:17:41(シカゴ2016)、人生のフルPB 2:58:32(さが桜マラソン2018)
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