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COLUMN

連載企画 「Unbreaking PB -失敗レースから学ぶ-」 VOL.3

2022.06.13
Shun Sato

第3回目は、100満点のレースから、一転して失敗レースを経験した合田さん。そんな失敗レースの経験を失敗のまま終わらせない思考法を参考にしてみては。

合田なぎさ(市民ランナー) 「レースで課題を可視化する」

©MITOYA

レース:名古屋ウイメンズマラソン(2022年3月13日)
タイム:2時間52分05秒(目標タイム:2時間42分)
自己ベスト:2時間44分30秒(大阪国際女子マラソン/2022年1月30日)

■Before the start (スタート前)
1月末の大阪国際は、100点満点のレースで自己ベストを20分以上も更新できました。それから約1ヵ月半後の名古屋に向けてリスタートしたのですが、大阪国際でのダメージ(内臓疲労)がけっこう大きくて、走ると気持ち悪いみたいな感じが続いていたのです。それで、まずは疲労を抜こうと思い、週1のポイント練習だけは継続して、ジョグとかの量を減らしました。大阪国際の時は月間400キロくらいだったので、その3/4くらいですね。それでも状態が上がらなくて、正直、どうしようって思っていたのですが、3月に東京マラソンがあったのです。友人が出ていたのですが、みんな頑張っていいタイムで走っていたのです。みんなの勇気ある走りを見ていたら私もチャレンジしたい気持ちが出て来てきました。無難にまとめて走るよりも攻めた方が後悔しないなって思って、攻めの覚悟をもって調整していきました。

■Start line(スタート)
スタートラインに立った時、調子は正直、走ってみないと分からない状態でした。周囲からは「大阪国際で20分自己ベストを更新したのだから今回は40分切れるね。」と言われていたのですが、その4~5分がかなり大きいですし、そもそもそこまでの自信はなく、むしろ不安でしたね。それでもチャレンジはしようと、キロ3分47秒から50秒くらいのイーブンで行ければと考えていました。ただ、当日はすごく蒸し暑くて、アップの時にすでに汗だくだったのです。これはコンディション的にはちょっと厳しいなぁと思いましたね。

■スタート~5km
スタートは目の前が実業団の選手でした。スタートしてからは特に何も考えず、実業団の集団についていったのですが、最初のラップが3分30秒だったのです。「そうだ、前は実業団だったんだ。これはさすがに速い、やばい!」と思って、慌ててスピードを落としました。そこから設定ペースに戻したら、うしろに3人くらいついてきて、たぶん3分45秒くらいで自分が集団を引っ張る感じで走っていました。ただ、暑さの影響か、すごく喉が渇いて、もう5キロも待てない感じでしたね。

■5km~10km
5キロから10キロまでは緩やかな下りでした。下りは得意なので、このままのペースでいこうと思って走っていたのですが、もうすでに足を使って走っている感じがあって・・・。ここで、この足の状態はまずいなぁと思ったのですが、下りの勢いのまま行きました。

■10km~15km
10キロからコースが上り基調になって、ラップも3分57秒とかちょっとかかり出したので、まずいなって思っていました。ただ、登りなので、このくらい落ちるのは仕方ないと言い聞かせて、これ以上に落ちないようになんとか維持しようと思ったのです。それでも先のことを考えるとこの体感とラップでは、どう考えてもラストまでこのペースは持たないなって思っていました。

■15km~20km
15キロ以降は、平坦なコースになったのですけど、重心がすごくズレている感じがして、修正するのですが、またすぐにズレてきてしまい、ちょっと自分ではどうしようもないみたいな感じになっていました。一緒に走っていた集団も私が上下する変なペースだったので、徐々に離れていき、二人だけになっていました。大阪国際の時は、いいリズムで引っ張ってくださる方がいて特に何も考えずにそのままついていく感じで、気分もラクだったのですが、名古屋はちょうどいいペースの集団を見つけられなかったのも大きかったです。

■20km~25km
ハーフ時点での大阪国際と名古屋のタイム差は、それほどないのですが、疲労度が全然違いました。この時は、かなり足が動かなくてなってきていて、タイム的にも、この時点でこれじゃ自己ベスト更新は無理だなって思ってしまいました。暑さも厳しくなり、喉が渇いて次のエイドはどこかなって探していましたね。スペシャルドリンクにOS―1を置いていたのですが、すごく濃く感じてしまって一緒に毎回水を2杯くらい飲んでいました。とにかく喉の渇きが異常で、大変でした。

■25km~30km
完全に単独走になり、足も動かず、体幹がブレブレで頭が揺れているのが分かったのですけど、もうどうしようもなかったです。ペースもキロ4分くらいまで落ちてきて、ここで初めて棄権しようかなと思いました。でも、ゴール付近で友人が応援してくれているはずなので、なんとか頑張ってそこまではいきたいと思い、ギリギリ踏ん張っていました。目標は、ここからペースアップするのは難しいので、自己ベスト更新から完走に切り替えました。

■30km~35km
相当キツかったですね。後ろから来た集団に1、2回抜かれましたけど、ついていく元気がまったくなくて、「どうぞ、どうぞ」みたいな感じで見送っていました。ここではペースがキロ4分くらいかかっていたのですが、記憶があまり鮮明じゃなくて(苦笑)。みんなと一緒に練習していたこととか、天気いいなぁとか、広い公道を走れて気持ちいいなぁとか、そんなことをボンヤリ考えながら走っていました。

■35km~40km
ペースがキロ4分30秒くらいまで落ちました。普段のジョグはそのくらいのペースで走ったりするのですが、レースでこのペースで走っているのがなんかおかしく感じられて、自分で「ジョグじゃん。」とツッコミをいれながら走っていました。1回、給水で立ち止まったら一気に足の力が抜けるような感覚があったので、これは次、立ち止まると走れないなと思い、このまま最後まで行くぞと気持ちをポジティブに掻き立てていました。

■Goal(ゴール)
ラストは、ペースが遅いので息は苦しくないのですけど、もう足の感覚がなくなって、自分の足じゃないみたいな感じでした。そういう経験は、これまで走って来て初めてでしたね。いつ足が止まってもおかしくない状態でしたが、ゴール地点のドームが見えてきたので、ひとつ、スイッチが入って、「このままいけば完走できる。がんばれ、がんばれ!」と自分に声をかけて走っていました。大阪国際のときは、ゴールして知人と写真を撮る元気もありましたが、今回は無理やり走ったせいか、脚の力が一気に抜けて膝から崩れ落ちて車イスで運ばれたのです。疲労度の違いに驚きましたが、ゴールができたし、これでティファニーがもらえるし、よかったとホッとしました(笑)。

■大阪国際女子マラソンと名古屋ウイメンズマラソンの比較

   大阪国際   ペース   名古屋   ペース 
 5㎞   19:02   3’48”   18:42   3’44” 
 10㎞   19:06   3’49”   19:03   3’46” 
 15㎞   19:14   3’50”   19:35   3’55” 
 20㎞   19:15   3’51”   19:41   3’56” 
 25㎞   19:15   3’51”   19:54   3’58” 
 30㎞   19:27   3’53”   20:30   4’06” 
 35㎞   20:01   4’00”   21:45   4’21” 
 40㎞   20:20   4’04”   22:56   4’35” 
 Finish   8:50   4’01”   9:59   4’32” 
 Result   2:44:30   4’01”   2:52:05   4’32” 

教訓(1)「レ―スは自分に足りないものを可視化してくれる」
大阪国際マラソンで自己ベストを出した時のペースでは走り続けることができても、名古屋のようにもう一段階目標を上げると、やはりスピードが足りないことがハッキリと分かりました。この時の自分の5000mの自己ベストは17分55秒だったので、レースの入りとかはかなりオーバーペースになっていたのです。それが分かったことで、次に何をすべきかよくわかりました。まずはトラックでスピードをつけて、実力を上げていこうと思っています。

教訓(2)「自分に合った調整法をみつける」
今回、大阪国際マラソンの後、ちょっと距離を落として調整したのですが、普通に走っていた方がよかったのかなとも思うのです。どちらがいいのか、まだ正解が見つかっていないのですけど、そもそも大阪国際も含めて、きちんと調整して臨んだことがなかったのです。そういう意味でも今回はすごくいい経験になりましたし、次のレースへの足掛かりになりました。今後は自分なりの調整法を確立していかないといけないですね。

教訓(3)「我儘に走ろう」
市民ランナーは、実業団の選手と違って好きなように走れるのが特権じゃないですか。もちろん記録を目指して走っていますけど、ファンランとか、楽しみながら走ることがあってもいいよねって思うのです。今回はタイムを置きに行くのではなく、攻める気持ちを優先した結果、撃沈してしまいましたけど、自分が思うように走ったことについては後悔していません。自分の状態からやや無謀だったかなと思いますけど、やってよかったと思っていますし、満足のレースでした。

©MITOYA

〈今後の目標〉
サブ3を達成したのは、大阪国際が初めてでした。その前のタイムは、2020年の延岡マラソンで3時間4分51秒でした。この時は、トラックでの練習をしていなくて、初めてちゃんとスピード練やペース走などをして臨めたのが大阪国際だったのです。コロナ禍でレースがなくなる中、地道に練習していたものが大阪国際の時に全て出た感じがします。実際、去年は月間400キロ、夏には一度月間700キロを走りました。700キロは1日のアベレージ23キロくらいになるのですが、だいぶ頭がおかしくなっていましたね(苦笑)。

次の目標は、2時間40分切りです。名古屋が終わってからスピード練習に力を入れて、「まるお製作所」の練習会とかに参加させてもらっています。ターゲットレースは、まだ決めていないですが、大阪国際と東京マラソンはエリートで出場できるはずなので、そのどちらかを本命にしていきたいと思っています。ここから伸び悩むのか、それともスパっと達成できるのか、分からないですけど、走ることは自分の趣味なので、これからも楽しく走って行こうと思っています。

連載企画 「Unbreaking PB -失敗レースから学ぶ-」 VOL.2

Shun Sato
佐藤 俊
北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て93年にフリーランスに転向。現在はサッカーを中心に陸上(駅伝)、卓球など様々なスポーツや伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。著書に「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「駅伝王者青学 光と影」(主婦と生活社)など多数。
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