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COLUMN

「RETO RUNNING CLUBの1年間で得たモノと新たな目標とは」 第18回活動レポート。(1年間のまとめ)

2023.05.01
Tatsuya Matsuzaki, Kanta Nakamura

RETO RUNNING CLUBは第4クールを無事終了し、昨年5月のスタートから丸1年の活動を終えた。今回は3名のメンバーに活動を通して、その経験から何を得て、これからどんな目標をもって次のステージへ進むのかを聞いた。チーム内でのカテゴリーが異なるメンバーが、どんな思いでクラブでの活動をしてきたのか? 市民ランナーの人たちの参考になるはずだ。

 

永田龍司さん(チームA+/PB:2時間37分25秒)
「福岡国際を駆けるために」

板橋シティマラソンで、2時間37分25秒の自己ベストを出した永田龍司さん。1月の東京チャレンジマラソンで得たという「長い時間をしっかり集中して走り切る」という課題を紐解き、ひとつひとつ解消していった。板橋で結果を出せたのは、それだけではなく、昨年からの努力の継続であり、積み重ねなのは間違いないが、永田さんが右肩上がりに成長したのは、その一つ一つの取り組みに丁寧さと緻密さがあったからだ。

速く走ることを追求するのは、RETO RUNNING CLUBのメンバーに限らず、ランナーなら誰しも同じだが、その鍵は永田さん曰く「トレーニングとモチベーションの両立」にあるという。「僕は、モチベーションを大会やタイムだけに設定していません。決めた大会に出てPB更新をモチベーションにしてしまうと、そのタイムを達成すると消滅してしまいます。それよりも自分の体の数値や変化を求めて、楽しむのが本当のモチベーションかなと思っています。例えばこういう栄養を摂るとキレが増すとか、このトレーニングをして睡眠を摂ったらどんな疲労感になるのか・・・。日々、自分の体を洗練させ、些細な変化も楽しんでいく。モチベーションは、自分の内に持っておいた方がいいと思っています」。

日常に体の変化は、ただなんとなくでは楽しめない。永田さんは、体重などインプットし、走行距離を入れるとその日に摂取すべき必要なカロリーとタンパク質、脂質などの栄養素が見られる表をエクセルで作り、今日は何をどのくらい摂るのか決めている。トレーニングについても「なんとなく」を排除している。

「中学生の時、監督に距離を走れば早くになるって言われたのですが、僕はそれに納得がいかなかったのです。トレーニングは基本単調ですが、だからこそ意味が大事だと思うのです。今は、YouTubeとかでいろんなトレーニングが見られますし、RETO RUNNING CLUBでもいろんなメニューが提供されますが、その練習は何に対してアプローチをし、どんな効果があるのか。それを理解して練習しないと、身にならないと思うのです」。

永田さんは、練習メニューやケア、故障についてネットから情報を得ることが多く、分からない言葉や内容については何度も検索して理解を深めていく。それ以外にも「ランニング解剖学」などの書籍で専門的な知識を習得している。「マラソンは全身運動なので、体の各部位に対して、どんなアプローチをすれば速く走れるのか。運動生理学、解剖学的な視点から攻めるのは、よくやっています。そういうことや栄養とか自己管理などを含めてスポーツだと思いますし、衣食住が一つに連結して初めて結果につながっていくのだと僕は思っています」。ここまで突き詰めていくのは、「自分の足跡をちゃんとRETO RUNNING CLUBのみんなに見えるようにしたいから」と永田さんはいう。ただ、RETO RUNNING CLUBの練習に限って言えば、今はチーム練習の枠を超え、単独での練習になっている。チーム練習でペーサーが付き、追い込んで得られる恩恵を永田さんは受けられない。それでも練習会に参加するのは、なぜなのか。
「僕は、RETO RUNNING CLUBのチームの雰囲気が好きなんです。レースにあれだけ多くの人が出て来て、応援してくれるのはなかなかないですし、目標達成すると「おめでとう」と自分のことのように喜んでくれる。人間的に成熟した人が多く、最高のチームだと思います。練習会で言えば、声を掛け合ったり、励まし合ったり、みんなとコミュニケーションを取るのが楽しいです。僕は、普段はひとりで走っているので、見てくれる人がいない。でも、RETO RUNNING CLUBではコーチを始め、仲間が僕の走りを見てくれて、小さな変化とかに気づいて話をしてくれる。それが僕にとってはすごく大切なことなのです」。

練習では誰も彼に追いつけないが、練習中や終わった後、「龍司」と、メンバーに親しみを込めて呼ばれるのは、永田さんのキャラクターがみんなに受け入れられているからだろう。RETO RUNNING CLUBでは、突出した存在になり、自分の立ち位置も1年前から変わった。
「チームには、絵(片山)さんや径(新沼)さんのようにチームを盛り上げてくれる人がいますし、桜井さんのように練習で、その姿勢を見せることでみんなに刺激を与えている人もいます。その中で僕は何ができるのかな? どういう関わり方をするとチームに良い効果が出るのかな? って考えると、シンプルに走りでチームを引っ張っていけたらと考えるようになりました」。

チームを引っ張り、足跡を残すために、永田さんが考えているのが、今年12月に開催予定の福岡国際マラソンに出場することだ。福岡国際は、参加資格が厳しく、国内公式レースで2時間24分以内の記録保持者に限定されるエリートのためのレースだ。「現状は難しいですが、それでも挑戦して、僕が出たということになればチームにとっても大きなことだと思いますし、これからRETO RUNNING CLUBに入ってくる新規メンバーの参考になるんじゃないかなと思うんです。あと、これは個人的なものですが、僕は中学性の時、陸上で全国レベルの大会に行けなかった。福岡に出て両親にマラソンのトップレベルの大会に出て走っている姿を見せてあげたいと思っています」。

福岡国際の参加標準記録を突破するためのプランは入念に練られている。「マラソンでのスピードを高めるためにスピードをもっと磨いていきたいですね。5000mで14分台を目標にして、福岡の参加標準記録は8月末の北海道マラソンで切りたいと思っています」。そのために、これからも練習会を楽しみつつ、独自の視点でトレーニングや座学で走りをさらに追求していく。

 

加藤俊亘さん(チームB/PB:3時間16分24秒)
「秋本真吾さんのセッションが走りを変えた」

加藤俊亘さんは、板橋シティマラソンで、3時間16分24秒のPBを出した。昨年12月の湘南国際マラソンでは3時間28分49秒でサブ3.5を達成し、その勢いのまま3カ月で12分もタイムを短縮することに成功した。「連続して自己ベストを更新できたのは、1月、2月と月間240キロの距離を踏むことができたからだと思います」。その時、なぜ、距離が必要だと感じたのだろうか。

昨年の11月、上尾ハーフに出場し、1時間34分04秒で走り、この時、キロ4分50秒のペースが全然苦にならなかった。だが、湘南マラソンではキロ4分50秒のペースがちょっとキツイなと感じ、もう少し余裕を持たせるために距離を踏もうと決めたという。「ただ、距離を踏むだけだと故障の原因にもなるので、神野さんのストレッチポールのストレッチや中野さんの戦略的リカバリーを、練習後欠かさずにやっていました。その効果がすごく大きかったですね。以前は1日20キロ走とかした後、ケアとかあまりしていなかったのですが、そうすると3日くらい走れなくて(苦笑)。その頃から比べると、1日20キロ踏んでも翌日には余裕でジョグができるようになって、自分なりに成長を感じることができました」。

距離への自信はついたが、まだキロ4分50秒で押せるだけの自信はなかった。高木聖也コーチに連絡をして、レースペースの余裕を持たせるために、どんな練習をすべきかを聞いた。「聖也さんは、レースよりも少し速いペースでのペース走、変化走が効果的だとアドバイスをしてくれて、それに取り組んでいました。板橋のレースの前には1キロ3本(4分、3分55秒、3分50秒)で刺激を入れました。スタートラインに立った時は、練習をやり切った充実感があり、いけるという自信もありました。キロ4分45秒のペースで押していこうと考えていたのですが、入りからそのペースで推移していったので調子がいいなって思っていました」。そのまま最後までペースを変えずに加藤さんは走り切り、自己ベストを出した。

「16分までいけたのは嬉しかったです。1年前、RETO RUNNING CLUB に入った時、10回以上レースに出ていたのですが1回しかサブ4を達成したことがなかったんです。しかも、ちょうど転職して昨年1月、2月は23キロくらいしか走れていなかった。サブ3.5なんて考えられなくて、サブ4をなんとか1回クリアできればいいなって感じでスタートしたんです」。

走りが大きく変わるキッカケになったのは、秋本真吾さんのセッションだった。「もも上げじゃなく、もも下げの意識だよ」。そのレクチャーの後、自分なりに取り組むとその感覚がつかめた。すると、それまで10キロをキロ5分以上かかるペースでしか走れなかったが、そのセッションの翌日に10キロを走るとキロ4分50秒で走れた。「その手応えがすごく大きかったですね」。走力向上の直接的なキッカケは、秋本さんのセッションだったが、RETO RUNNING CLUBの環境も成長するには欠かせない要素だった。

「普段、ひとりで練習していたので周囲から刺激を受けることがなかったのです。RETO RUNNING CLUBは、みんなで声を掛け合って、高めあっているじゃないですか。そういうのがすごく刺激になりますし、勇気づけられますね。応援もRETO RUNNING CLUBならではだと思います。板橋の時も最後37キロ地点で応援していただいたのですが、すごく元気になりましたし、背中を押してもらいました」。平時は、ストラバのメンバーの走りを見て、自分もという気持ちになった。中でも加藤さんが、「すごいな」と思ったのは、永田さんの努力だった。「永田さんの距離の踏み方はすごいじゃないですか。実際、板橋で同じレースに出させてもらったのですが、スタートは私が第3ウェーブで、永田さんが第5ウェーブだったのです。彼は私よりもうしろだったにもかかわらず、ものすごいスピードで抜かれて・・・。折り返しでは声をかけあったのですが、本当にすごかった。練習会もすごいスピードで走っていますし、上には上がいるんだなと本当に刺激を受けますね」。奇しくもそのレースで二人とも自己ベストを更新している。

加藤さんは、充実のシーズンを終えたが、次の目標もしっかりと設定している。「次のシーズンでは、まず3時間5分を切れたらと考えています。今年中に、それが達成できたら来年の冬のマラソンではサブ3にも挑戦したいですね。まだ、どのレースを走るとかは決めていないですが、5月からはAチームに入ってみなさんに引っ張ってもらいながら自分の力を上げていきたいなと思っています」。

練習会以外では、「本当は、タムケン練や合宿にも参加したかったのですが」という加藤さん。お子さんが小さいなど家庭の事情もあり、参加するのが難しい状況だ。朝に走る時間を見つけるなど、工夫をして走る時間を確保している。それでも年間を通して目標を達成したのは少ない時間を有効活用し、質の高い練習を実現していたからだ。今の加藤さんに、質と量の練習が揃えば、サブ3突破への視界が一気に開けていきそうだ。

 

吉岡美帆さん(チームC/PB:3時間48分16秒)
「富士見合宿の悔しさは、決して忘れない」

吉岡美帆さんは、3月の名古屋ウイメンズマラソンで見事サブ4を達成した。その名古屋のレース前、吉岡さんは不安しかなかった。11月下旬に練習会で皇居を回った時、下りで右足を捻挫した。「マジで終わった」と思ったが治療に専念し、筋トレとバイクをこいで心拍機能を落とさないようにした。12月下旬のタムケン練で復帰し、1月から走り始めたが月間走行距離は129キロ。焦りが募ったが、気持ちを切り替えられる出来事があった。2月4日の小田鎌だ。小田鎌とは、小田原―鎌倉間(38~40キロ)を走るロング走で吉岡さんにとってはそこでの走りが自分の走力のひとつの指標になっていた。

「1回目は、まったくついていけなくて、いつやめようかってそればっかり考えていて、2回目は走れたけど、遅れてみなさんに迷惑をかけてしまって・・・。でも、この間の小田鎌は初めて、みんなについていけたんです。私にとっては、みんなについていけるかどうかが一つの目安になっていて、そこでついていけたというのが気持ち的にすごく大きかったのです。しかもケガ明けで、これだけ走れたのは初めてですし、これで名古屋に臨めるな、って少し気持ちが落ち着きました」。この時、吉岡さんはもうひとつ「良し」と思うことがあった。「シューズですね。周翔(有本)さんに紹介してもらったマジックスピードとペガサスのどっちにしようか、迷っていたのです。その時にマジックスピードを履いて調子が良かったので、この時にシューズを決められたことも大きかったです」。

レース3週間前にはタムケン練の30キロ走に参加し、2週間前には20キロを走った。「ふたつとも思ったように走れて、テンションがちょっと上がったのですが、サブ4を達成できない夢とかも見てしまって・・・。これじゃいけないと思い、メンタルを上げることを意識しつつ、聖也さんに言われたように買い物や治療院に行く際など、短くてもいいのでとにかく走るのを実践していました」。ストレッチも毎日欠かさず行い、整骨院では足の指の間とかに鍼を打ってもらった。足の指が開きにくいので、鍼をうつことで指が開き、地面を掴みやすくなる。「これは、めちゃ効果があった」という。また、置き針も名古屋を走る前に、びっくりするぐらい多く貼った。「みんなに教えてもらって効果があるもの、できるものはすべてやろうという感じでした」。

それでも不安は尽きなかった。自信があっても不安を完全に取り除くことは、なかなか難しい。ましてや吉岡さんは、東京マラソンから1年ぶりのマラソンになり、RETO RUNNING CLUBに入って初めてサブ4に挑戦するレースになる。「みんながすごい記録を出しているのを見て、私もPB出しましたって言いたいと思っていましたし、ここでサブ4を達成できなかったらいつやれるんだというくらい名古屋に人生を賭けていました。でも、やっぱり不安がありました。これだけやってきたのにサブ4を達成できなかったらどうしよう。まだ、足りないんじゃないか。そんな不安ばかり膨らんで、サブ4いけるよって確信めいたものがなかったです」。

しかし、レースは理想的な展開で進み、1年間の努力が実を結んだ。吉岡さんは、RETO RUNNING CLUBのメンバーや家族に背中を押されて、2019年の湘南国際マラソンで出した4時間17分9秒から3時間48分16秒と大幅にタイムを短縮し、サブ4を達成した。 「サブ4は、自分ひとりの力では絶対に達成できなかったですね。これは、本当にRETO RUNNING CLUBのみなさんのおかげです。メンバーにサブ4達成のノウハウを聞くと、皆さんの貴重な経験や情報を惜しみなく教えてくれるんです。私は年齢的に教えることはあっても教わることがほとんどないので、普通に教えてくれるというのが本当にうれしくて、多くのモノを得ることができました」。

昔を思い出して神妙な面持ちを見せる吉岡さんだが、最初は「とんでもないところに入ってしまった」とかなり気後れしてしまったという。RETO RUNNING CLUBでの一番の思い出は、そんな時を過ごして迎えた第1回の富士見合宿だった。「あの時は、何ひとつついていけなかったんです。トラック練習も数本抜けたし、最終日のロング走も大幅に遅れて聖也さんについてもらって・・・。ほんと、何もできず、こんなにもついていけないのかと思うと、ただただ悔しかった。でも、それがあったから成長できたのかなと、今は思います」。

吉岡さんの成長は、第1クールのスタート時を知るメンバーからすれば感慨深いものがあるだろう。どんなに遅くても、ついていけなくても、最後まで諦めず、喰らいついていった。その先にある成長の上昇曲線を、吉岡さんは時間をかけて自分の手でつかみ取った。「ついていけない」を言い訳にして辞めてしまうのは簡単だが、そこで踏み止まり、コツコツと努力を積み重ねることがマラソンで目標を達成するためにはどれだけ大事なことか。吉岡さんという成長のお手本ができたことは、チームにとって大きな財産になった。「今は、サブ4という自分にとって高い壁を越えた余韻にまだ浸っていたいですね(笑)。5月からは家庭の事情で練習会には参加できませんが、継続はしていきます。次はサブ3.75を目標にして、みなさんの背中を追い掛けます。でも、戻ってきたら今いるCチームのメンバーは、全員上のクラスに行ってそうですね(笑)」。チームのメンバーは変わっているかもしれないが、吉岡さんもきっとさらに成長した姿を見せてくれるに違いない。


 

施設協力:MARUNOUCHI Bike&Run
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Shun Sato
佐藤 俊
北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て93年にフリーランスに転向。現在はサッカーを中心に陸上(駅伝)、卓球など様々なスポーツや伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。著書に「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「駅伝王者青学 光と影」(主婦と生活社)など多数。
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