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スタイリッシュに速く走りたい、すべてのランナーへ
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COLUMN

“挑戦”をサポートする、RETO Running Club powered by Runners Pulse 第12回活動レポート。

2022.11.14
Shinsuke Matsushita

第3クールに入ったRETO Running Club。新しいメンバー8名が加わり、Aチームは19名、Bチームは15名、Cチームは16名と総勢50名の大きなチームになった。

練習前、神野大地選手が新メンバーに向け、こう語った。
「今日から3期目がスタートします。1-2期と継続したメンバーが結果を出し、チーム全体のレベルが上がってきて、すごくいいチームになっています。このチームの雰囲気に乗りながら利用できるところは利用して、お互いに高め合って行ってほしいと思います。」

その後、新メンバーは前に出て、自己紹介。みなさん、やや緊張気味だったが、自分の目標などを明確に提示し、頼もしかった。そして、この練習会の前日、10月30日には各地でマラソンが開催されており、RETO Running Clubのメンバーも参戦。神野選手が各レースで目標達成やPBを更新したメンバーの名前を読み上げる。その度、「おぉー!」という歓声が上がり、拍手がつづいた。目標を達成して名前を読み上げられ、みんなうれしそだった。これからレースを控えているメンバーにとっては大きなモチベーションになったはずだ。

この日の練習は、クルーズインターバル。クルーズインターバルとは、短い休憩時間を挟んで閾値ぺースで行うインターバルのこと。簡単にいうと持久力を高める練習になる。今回は3キロベースで各チームによって本数が異なる。

★Aチーム:3km×4
11’33″(3’58″-3’48″-3’47″)
11’26″(3’49″-3’49″-3’48″)
11’26″(3’49″-3’49″-3’48″)
11’12″(3’48″-3’44″-3’40″)

★Bチーム: 3km×3+1km
13’20″(4’31″-4’28″-4’20″)
13’19″(4’25″-4’26″-4’26″)
13’16″(4’22″-4’29″-4’25″)
+1km 4’07″

★Cチーム:3km×3
15’23″(5’11″-5’08″-5’04″)
15’30″(5’10″-5’09″-5’10″)
15’29″(5’12″-5’09″-5’07″)

みんなかなり余裕が出てきて、練習は無事にクリア。前日にマラソンを走った人は、従来のチームよりもタイムを落としたり、本数を少なくてして参加した。

さて、3期目には8名の新メンバーが加わったわけだが、そのみなさんを紹介しよう。

今回、Aチームには、初めての女性メンバーを含め、3名が加わった。
土本優作さんは、2021年12月の青島太平洋マラソンで2時間58分45秒を出し、すでにサブ3を達成している。だが、さらに速くなりたいと考えると、独りでの練習では限界を感じ、同じトライアスロンスクールで練習していた片山さんの紹介で今回チームに参加した。走るのを始めたキッカケは「ダイエット」だった。「最初、体重が88キロあったのです。大学生の時から太り始めて、社会人になってこれはヤバいなと思い、寮から仕事場まで4キロ程度走って通勤していました。会社の人が車で追い抜く際、走っている僕を見ていたらしく、会社で話題になり、ある時先輩に10キロのレースに誘われたのです。そのレースを走ってから楽しくなって、2012年12月に奈良マラソンを走りました。初フルで、まだ85キロくらいあってキツかったのですが楽しかったです!」。その後、月間300キロを走るようになると体重も落ち、今は68キロに落ち着いた。現在は丸の内にある石油会社に勤務、外資なので残業はなく、走れる時間はあるが、最近こどもが生まれ、育児と仕事とランニングをいかに効率良くやるかを考えている。来年の東京マラソンで2時間55分を切るのが目標だ。

市川貴洋さんは、小学生の頃からマラソンが好きで、中高は陸上部に所属していた。主戦場は跳躍だが、短距離や長距離までオールマイティーにこなす選手だった。部活の先生が順大OBだったので、順大で陸上をと考えていたが、脊髄分離症を発症し、高校で競技は引退をした。社会人になってから健康のためにランニングを始め、初フルは2018年の横浜マラソン。「サブ3.5達成! と思って走ったのですが25キロで燃え尽きて、3時間44分でした。それが悔しくて、本気で走るようになりました」。PBは2021年11月の東京チャレンジマラソンの3時間13分34秒。先日、行われた横浜マラソンに出場し、「3時間5分切りを狙ったのですが、暑くて、僕は給水が苦手というか、寄るとペースが乱れるのでイヤなのですが、水分補給をとらなかったのが失敗でした」と語る。次は湘南国際でPB更新を狙っている。ちなみに走るのは好きだが、観るのも好きで、箱根駅伝やマラソンを何時間もテレビの前に座って観ている。家族には「何がおもしろいの?」と理解されないが、好きなことは小学生の時から変わらない。

吉田咲さんは、中学から大学まで陸上部。城西国際大では女子駅伝部に所属し、全日本大学女子駅伝出場を目指して走っていた。大学を卒業してから2年間、ほとんど走らなかったが、3年目の今年、再び走り始めた。「大学の時、走り切った思いがあったので、市民ランナーにはならないと思っていたのです。でも、今スポーツメーカーで働いて3年目になるのですが2年目にランニングチームが出来て練習に出るようになったのです。自分の走力を高めないといけないと思いましたし、一人では甘えてしまうので、チームに入って自分を奮起させようとRETO Running Clubに入りました」。まだ、フルマラソンの経験はなく、ハーフは1時間21分のタイムを持つ。仕事柄、土日も忙しく、走る時間を確保するのが大変だが、ランニングイベントを催すようになり、「市民ランナーさんやいろんな人に意見を聞くようになり、いろんなことを吸収できるのはプラス」と考えている。最初のフルマラソン挑戦は来年1月29日の勝田マラソン。いきなりのサブ3は「厳しい」ととらえているが、「2023年中にはサブ3を達成したいですね」と笑顔で語る。

(L→R)土本優作さん>市川貴洋さん>吉田咲さん

Bチームには、今回、3名の新メンバーが加わった。
有馬寛之さんは、6年前の東京マラソンでサブ3.5(3時間23分)を達成している。その後、ケガをしたり、仕事が忙しくなり、さらに新型コロナの影響で大会がなくなったこともあり、マラソンから離れたが「もう1回、チャレンジしてサブ3.5を切りたい」という思いからRETO Running Clubに参加した。有馬さんが走り始めたのは、13年前、体の不調がキッカケだった。「税理士をしているのですが、仕事が忙しくて頭が疲れ切ってしまい、体を動かさないので自立神経に影響が出てしまったのです。それでまっすぐ歩けなくなり、これは体を動かさないとまずいと思い、走るようになりました。そうしたらよく眠れるようになり、心身のバランスが取れてきたのです」。初フルは11年前の東京マラソンで、ギリギリでサブ4を達成した。来年、その東京マラソンの舞台に再び立つ予定だが、その前に湘南国際マラソンでサブ3.5をクリアできたらと考えている。「自分ひとりでの練習ではスピード練習などはできないので、皆さんと一緒に練習して、意識を高めつつ、楽しみながらやっていきたいと思います」。

中村百花さんは、中学、高校で800mを主に走っていた陸上経験者だ。大学では「陸上はもういい」と思い、走るのをやめてしまったが、社会人になり3年前の12月からまた走り始めた。「社会人になって時間を確保できるようになって、ボクシングとかテニスとかやったのですが、熱中できなくて・・・。もう1回走ってみようと思って走ったら1キロも走れなくて・・・、それがすごくイヤで、もう1回走れるようになりたいと思ったのが走り始めたキッカケです」。初マラソンは、2020年1月、柏の葉パークマラソンで、3時間45分00秒だった。その後、ひとりの練習に限界を感じてRETO Running Clubの門をたたいた。「ネットで練習とか見るのですが、実際に速い人はどんな練習をしているのだろうとか、人のうしろで走ったこともないので、そういう経験もしたいです。あとひとりだとダメな日はやめてしまうのですが、みなさんと一緒に走ると頑張らないといけないと思うので、そういうのを経て、サブ3.5をクリアして、最終的にはサブ3を達成したいと思っています」。スピードがあり、ランナーとしてのポテンシャルは十分、もう伸び代しかない。

三科圭介さんが初めてマラソンを走ったのは9年前の那覇マラソン。その後も何回かマラソンを走っているが、旅とマラソンがセットでスピードを意識したことがなかった。だが、今年、青島太平洋マラソンに出走するのを決めた時、「マラソンを趣味にしたい!」と思い、真剣にやってみようと思いました。「それまでマラソンは気持ちをリフレッシュするもので、タイムを追うものじゃなかったのです。でも、青太でサブ3.5という目標を決めて、練習はネットで検索しながらやってきました。ただ、自分流というか邪道で、それは王道の練習方法を知って初めて生きてくるものだと思うので、そこでの学びを含めて今回RETO Running Clubに参加させてもらっています」。中高大時代はサッカー部に所属し、毎日多い時で18キロ走っていたので素地はある。「仕事に限らず、人が人をインスパイアして、それで自己実現がひとつできたら他の人が影響されて実現できていく、ドミノ式に循環していくのが素晴らしい環境だと思うのですが、Facebookを見ていると、RETO Running Clubはそれを実現していると思うのです。自分もその中で自己実現を達成し、人としても成長していきたいと思っています」。

(L→R)有馬寛之さん>中村百花さん>三科圭介さん

Cチームには、新たに2名のメンバーが加わった。
松沢衣利子さんは、10月30日、3回目のマラソンとなる横浜マラソンで3時間56分を出し、サブ4を達成した。高校では女子サッカー部でボランチとしてプレーし、大学ではクラブチームでプレーしていた。中学時代もサッカーをやりつつ、800mの陸上要員として大会に駆り出され、走っていたという。初フルは、2017年の沖縄マラソン。「人生で1回はマラソンを走ってみたいと思って、旅行がてら大会に申し込んで走ったのですが、4時間57分でした。その後、20年に名古屋ウィメンズに出ようと思ったら新型コロナでなくなり、その間、フットサルで足首の靭帯を切ってしまって・・・。自粛もあるし、太り過ぎてしまい、このままだと動けなくなると思って、また走り始めました」。横浜に向けて走り始めたのが今年4月、夏は暑いので月20キロ程度しか走れなかった。それでも見事に目標をクリアした。「途中で失速するかなと思ったのですが、このままいけば4時間を切れるというのがモチベーションになり、走り切れました」。来年の名古屋ウィメンズはサブ3.75を目標にしつつ、サブ3.5も狙っていくという。

青木瑞恵さんは、RETO Running Clubの3期目のメンバーに申し込みをした直後、自転車で転倒し、左手首を複雑骨折、今はリハビリ中だ。走り始めたのは、15年くらい前、ジムのインストラクターに10キロを誘われたのがキッカケだった。「走るのが嫌いなので断ったのですが、焼き肉おごるからって言われて(笑)。それで走ったら意外と走れたので続けたのです。でも8年前、母が病気で亡くなったのですが看病疲れか抜け殻のようになり、1年くらい何もする気がなくなって。その後、結婚してさらに運動から遠ざかり、四十肩になってこれは運動をしないといけないと思い、ヨガを始めたのですが、新型コロナで行けなくなって・・・。ただ在宅勤務で時間があったので、また走り始めました」。今年の名古屋ウィメンズは10年ぶりのマラソンになったが4時間17分で走り切った。目標はサブ4だ。「趣味は何ですかって聞かれた時、マラソンというと必ずタイムを聞かれるじゃないですか。その時、『サブ4です』と言いたいんです。それが市民ランナーとして認められる記録だと思っているので」。次のレースは来年の東京マラソン。ケガを治して万全の状態で臨む覚悟だ。

(L→R)青木瑞恵さん>松沢衣利子さん

新しいメンバーがチームに、どんな風を吹かせてくれるのか。走りはもちろん、それぞれの個性を発揮しつつ、目標達成を実現してくれるはずだ。


施設協力:ラフィネ ランニングスタイル Otemachi One
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土日祝日 7:00~20:00(最終受付19:00)
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Shun Sato
佐藤 俊
北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て93年にフリーランスに転向。現在はサッカーを中心に陸上(駅伝)、卓球など様々なスポーツや伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。著書に「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「駅伝王者青学 光と影」(主婦と生活社)など多数。
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