“挑戦”をサポートする、RETO Running Club powered by Runners Pulse 第4回活動レポート。
RETO Running Club(以下、R.R.C.)の第4回練習会が6月27日に行われた。これ以前、R.R.C.は、17日から19日までの3日間、山梨県と長野県の県境にある小淵沢で富士見合宿をこなした。標高1,200mの準高地で信玄棒道など不整地のランニングやトラックでのスピード練習、最終日は18キロの山コースを走り切るという強度の高いメニューをこなし、メンバー間の親睦を深めるなど充実した3日間を過ごした。あれから1週間後、ずいぶん時間が経過した感があったが、顔を合わせると先日の合宿について等々、話が弾む。過去3回の練習前の雰囲気とは異なり、だいぶ緊張感が和らいできた。
この日の練習は、1000m×5本、神野大地選手から練習のポイントについて説明があった。「今日、大事なのは3本目からです。最初、意気込み過ぎないように余裕をもってやりましょう。3本目からペースアップしていくので、そこを耐えて、4‐5本目で追い込んで、しっかり終わらせましょう。今日もよろしくおねがいします!!」
高木聖也コーチからAチーム、Bチーム、Cチームのタイム設定が発表された。つづけて「オーソドックスなインターバルですが、暑い中、水分をとってしっかりとやり切りましょう。」という注意があった。この日、関東は梅雨明けし、昼は35度を越える猛暑日になった。夜は風があり、気温も落ちているが、それでも暑さが残り、水分摂取は必至だ。
練習場所に移動し、練習前にストレッチ。それが終わると、今日のコースを3周してアップが終わった。今日は神野選手がAチームを引っ張り、Bチームは田村健人コーチ、CチームはRUNNING SCIENCE LABから村山智彦さん、そして高木聖也コーチがついた。
Aチームから随時スタートしていく。神野選手が先頭で引っ張る中、常時、隣で並走していたのが永田龍司さんだ。富士見合宿での練習では常に先頭に立ち、1000mTTでは激走を見せて、その場を沸かせてくれた。永田さんは、小中学校時代、陸上部で1500mと3000mをメインに活動していた。両親との約束で陸上は中学まで。高校では勉強に集中し、大学で一度陸上部に入ったが、理不尽なことがあり、ギター部に入部すると走る情熱が失われていった。社会人になり、コロナ禍の影響で在宅が増え、体調が崩れて病気がちになった。「健康志向」で今年から走るようになると、陸上経験者は戻りが早い。あっという間にスピードが戻り、サブ3を目指してチームに加入した。だが、サブ3は通過点であり、目標ではない。家族計画で2年後には子どもを持ち、子育てに時間を使いたいと思っている。そのために自由になる時間は2年しかない。「子供が大きくなった時、マラソンの先頭集団にいる自分の姿を見せてあげたいです。テレビに一瞬でもいい、あいつは誰だといわれるくらい映りたい。そうして頑張ればうまくいくこともあるんだよっていうのを子供に伝えたいのです。」と語る。そのために、まずは年末のビヨンドに出て、初フルマラソンでタイムを残すことになる。
神野選手の近くについていたもう一人が、町田祐磨さんだ。町田さんがランニングを始めたキッカケは、お酒が影響している。「大好きで毎晩のように飲んでいました。」と語るように大学から飲み始め、4年生になると運動もせずに飲み続けたせいか、「さすがにまずい。」と体を案じて走るようになった。そのまま走ることが楽しくなり、社会人1年目に勝田マラソンに出場し、サブ4を達成した。だが、35キロ以降、歩いてしまったことが悔しくて、それからは歩かずに最後まで走り切ることを決め、トータルで12回、フルマラソンを走った。昨年の11月の富士山マラソンでは3時間2分2秒の自己ベストが出て、サブ3に手が届くところまできたが、次の新潟のレースでも3時間3分台に終わり、サブ3達成を実現することができなかった。「レースは自分のベストを尽くすことができている感じはあるのですが、もう1歩のところで止まっているので、秋には粘ってサブ3を達成したいです。」と意欲を見せる。町田さんには、サブ3達成とともにもうひとつやりたいことがある。「タイムとは別に、フルマラソンで47都道府県を制覇したいです。」と語るが、まずは11月の富士山マラソンでサブ3越えを目指す。
3本目を終えると、レストで神野選手がAチームのメンバーに声をかける。「4本目は、ペースを守って、5本目で僕はペースを守りますけど、前に行きたい人は行ってください。ここから追い込んでいきますので、あと2本がんばりましょう。」神野選手が手を上げて、4本目がスタートした。
先頭集団にいたのは、片山絵さんだ。片山さんは、1年前にトライアスロンを始めたばかりだ。そのキッカケになったのは、3年前に父親が亡くなったことが大きいという。「父の死の際、人生は短い。やりたいことをやらないと。」と思い、トライアスロンをやろうと決めた。まずは高価なバイクを買い、やるしかないというところに自分を追い込んだ。もともと5歳から中学まで水泳をしており、スイムはむしろ楽しみにさえ思えた。ランは、高校時代アメフト部でよく走っていたので抵抗はなかった。バイクは一から学び、その進化成長を楽しんだ。フルマラソンは鶴見川の河川敷のレースに出て初フル3時間27分19秒でサブ3.5を達成した。マラソンでの目標はサブ3で、ここから30分タイムを上げていくことになるが、もともと運動能力が高いせいか、チームの練習で「もう無理」という辛さにはまだ至っていない。「自分でメニュー考えたり、低酸素ジムで動いたり、心肺機能はかなり高くなっているので、あとは長い距離に対応すれば。」と自信に満ちた表情を見せる。9月と10月はトライアスロンのレースに集中し、12月のビヨンドでサブ3を達成する予定。死ぬまでに1度は「アイアンマンレース」にも挑戦したいという。
片山さんの近くで黙々として走っていたのが、平野友之さんだ。平野さんは、Strava(ストラバ)で「めちゃくちゃ走っている。」とメンバー間で言われており、新沼径さんとリーダーを争っている。今年の1月からランニングを始めたばかりだが、月間300‐400キロを走っている。走り始めたキッカケは、仕事が落ち着いて自分の時間が取れるようになったからだ。小出義雄さんの本などを読み、5月からは高木コーチのメニューを参考に、自分で1週間の練習を組み立てている。また、距離と食事と体重のデータを毎日録って、管理している。「そういうことが好きなんですよ。今、だいぶ絞れてきて、筋肉の付き方も変わってきました。特に粘れるようになったというか、ここでタレちゃってもいいかっていうのもなくなりました」。この日の練習では神野選手に声をかけられ、スイッチが入って最後まで走れたという。「この一瞬に自分の成長を感じられました!」と、自分の走りに手応えを感じている。ターゲットレースは、千葉アクアラインマラソンだ。4年前、練習せずに走って28キロ付近で足が止まり、マラソンの厳しさを味わった。その悔しさを晴らすべく、この1本に賭けている。「試走をしてサブ3.5は行けると思うのですが、あと30分がとてつもなく難しい。スピードをつけてフォームを変えて挑戦したいです。」と気持ちをたぎらせている。「無理だと思われているくらいの目標が自分にはちょうどいい。」と語るが、高い山をどう登ってくのか楽しみだ。
4本目が終わり、レストに一呼吸置く。待っている間、BチームやCチームが駆けてくる。メンバーに「ファイト!!」「ラスト」という声がかかる。自然と声が出るのは、チームがチームらしくなってきたところの証左でもある。
小坂拓也さんは、16年前、ランニングを始めた。今より15キロ体重が多く、食事制限と運動により、4ヵ月で10キロ落とした。痩せた中、何かできることはないかと思い、ホノルルマラソンに出走し、6時間以上かけてゴールした。翌日、完走証を取りにいくと70歳くらいのスタッフに驚きの顔で「6時間以上もかかったのか?」と言われた。「おめでとうと言って渡してくれるのかと思ったのですが、そういわれて悔しくて、来年リベンジしてやると心に決めました。」と翌年にチャレンジして、4時間10分でゴールした。その後も会社で走り続けたが、なかなかサブ3を越えられない時が2年間つづいた。なんとか壁を越えたいと思い、会社の陸上部の門をたたいた。20人以上、サブ3のランナーがいる中でもまれ、2020年2月の別大で2時間46分02秒の自己ベストをマークした。その後、なかなかサブエガを果たせず、現状打破のためにR.R.C.に参加、「来年の3月までにサブエガを達成する。」と心に決めている。「チーム活動は充実しています。神野選手やコーチのみなさんに恥をかかせられない。1期のメンバーとして、結果を出してR.R.C.すごいと言わせたいです。」と、強い覚悟でサブエガを目指している。
ラストを追い込んでいたのは、桜井徹哉さんだ。会社の同僚に「メタボ解消しませんか。」と声をかけられて走り始めたのが2014年11月。みんなで皇居を走り、その後飲みに行った中、その場で沖縄のマラソンにエントリーし、完走した。その頃はタイム志向ではなく、全国のマラソンレースに参加し、現地で食や観光を楽しむスタイルだった。サブ4は2016年の函館マラソンで達成したが、その後、3回連続してサブ4を果たせなかった。「そこからですね、悔しいと思い、もうちょっと真面目に走ろうと思ったのは。」とマラソンに本腰を入れ、1年後の福岡マラソンで、もう1度サブ4を達成。さらに練習量を増やし、18年の湘南国際で3時間29分を出した。だが、グロスで3時間31分だったので「もう1回ちゃんとサブ3.5を!」と思い、昨年のチャレンジマラソンにて3時間20分でクリア、昨年末のビヨンドで3時間18分を出した。「イーブンペースで走って、この結果が出たのは自分でも驚いたし、すごくいい刺激になりました。タイムが上がる可能性を感じました。その上を目指して挑戦しようと思いました。」とのこと。その決意の元、今年3月の東京マラソンで3時間17分22秒の自己ベストをマークした。「今は、まず3時間10分を切ること、年齢別ランキングで10位内に入ることが目標です。あと来年3月の東京マラソンが確定したので、そこでサブ3に挑戦できたらと考えています。」と語る。何回か足止めされながらもタイムの壁をクリアしてきた桜井さんだけに、サブ3も必ずクリアしていくはずだ。
ラスト1周! フリーになったメンバーたちはバラけ、永田さんたちが先頭で走ってくる。尾を引くように後続の選手たちがつづく。神野選手はペースを守っており、そのうしろにつづくメンバーもいる。ラストのペースは、キロ3分36秒に上がった。
少し離されながら懸命に喰ら就いていたのが、三木俊弥さんだ。三木さんがマラソンを始めたキッカケは、ふたつある。ひとつは、小学6年生の時、左腕が骨肉腫に罹患した時だった。1年半の入院生活の中、24時間テレビで100キロマラソンに挑戦する姿を見て、「すごいなぁ。いいなぁ。」と思った。25歳の時、体重が今よりも10キロ増え、ウエストが90㎝を越えた。「さすがにヤバいと思い、どうすれば痩せられるのか考えた時、あっ、マラソンだ! って思ったのです。」と、13年前の記憶が甦り、走り始めた。2016年の横浜マラソンが初フルで4時間41分、自己ベストは2019年板橋シティマラソンの3時間29分48秒だ。地道に練習を続けてきた中、今年のGW明け、体調が崩れて痒みが止まらなくなった。病院にいくと日光アレルギーと診断された。さらに汗アレルギーも併発した。「厳しいですがやれることをやろうと。今は、日中完全防備で5キロくらい走っています。」。幸い、夜は問題ないので、練習会に参加できている。富士見合宿は、参加したかったが、症状が出たばかりだったので断念した。「左手が振れないですし、喘息持ちでもあるので、スピード練習になると呼吸が苦しくなる時もあります。でも、走るのが好きなので、これからも目標に向けて、皆さんと一緒に頑張って行けたらと思います。」と語る。10月の横浜マラソンから12月まで3レースつづくが、体調管理に気を配りながらサブ3突破に臨む。
三木さんにチームのメンバーから「ラスト!!」という声がかかる。フィニッシュすると拍手が起こり、練習が終わった。全員が集まった中、神野選手はここから2ヵ月、チームを離れてケニア合宿に集中することを告げた。来年のMGCに向けて、着々と準備を進めている様子だ。
「今回で一度、チームを離れますが、2ヵ月後、さらに成長したみんなと会えるのを楽しみにしています。」
今年のレースのスレッドが立ち、メンバーが挑戦するレースの報告が始まった。練習会以外の活動も活発化しつつある。2ヵ月後、神野選手がびっくりするような成長を、メンバーは見せられるはずだ。
次回は、サブ4チームで奮闘する男子メンバーをレポートする予定です。
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