富士山を海と山から眺めるマラニック。旅ランするなら日本が最高! のわけ。

アメリカ・カリフォルニア州に在住し、同州の高校でクロスカントリー走部のヘッドコーチを務める角谷剛氏による連載コラム。今回は、日本に一時帰国した際に体験した、神奈川県藤沢市での「旅ラン」の模様をお届けします。日本が世界に誇る「富士山」を中心とした2泊3日のマラニック。海と山を存分に堪能できました。
1月の後半に一時帰国をした際、神奈川県藤沢市に2泊しました。仕事上の用事があるにはあったのですが、それにかかったのは数時間だけ。それなのに2泊もしたのは、この機会にぜひともやってみたかったことが他にあったためです。
「富士山をこの目で見る」がそれです。まるでインバウンド観光客のようですけど、実際にそのようなものなので、どうかご容赦願いたいと思います。新幹線の車窓から一瞬だけ目に入ったのを除けば、この日本一の山を肉眼で見るのは10数年ぶりでした。
初日の夕方に湘南の海に沈む夕陽の向こうに、2日目には箱根の登山道から、そして3日目の早朝にまた湘南で朝日に輝く、さまざまな角度から富士山を眺めることができました。藤沢は海に行くにも山に行くにもとても便利な町です。
とは言いつつ、私の旅行はいつものようにランニングとセットです。ひとりでやってきて、その辺を勝手に走り回って、帰っていきます。
マラソンなどのレースに参加するのであれば、それなりに地元にお金を落とすことになりますが、ただ公道や公園を走っているランナーからは観光収入はほとんど発生しません。観光施設も訪れませんし、ショッピングもしないからです。
いわば地元のひとにとっては迷惑以外の何ものでもない存在です。その代わりになるかは分かりませんが、今回走った湘南の海と箱根の山はとても素晴らしい場所だったよと、ここでランナー視点から紹介したいと思います。
1日目:鎌倉・極楽寺から鵠沼海岸まで(約7km)
藤沢駅は大きなターミナルです。JRの他に、江の島電鉄と小田急江ノ島線が接続しています。私がまず乗ってみたのは江の島電鉄、通称「江ノ電」です。
江の島、稲村ヶ崎といったサザンオールスターズの数々の名曲を思い出す地名の駅を通過した後、鎌倉の少し手前にある極楽寺駅で電車を降りました。そこから帰りは走るのです。

江ノ電。
目の前には国道134号線、そして湘南の海が広がっています。鎌倉高校前駅の踏切が『スラムダンク』で有名になり、観光客が押し寄せているおかげで、オーバーツーリズムの弊害が出ているという話は有名ですね。
この日も付近には大勢の人が集まっていました。何やらコスプレのような服装の人もちらほらいました。とは言え、まったく身動きができないというほどの混雑ではありませんでした。平日だからこの程度で済んでいたのかもしれません。

鎌倉高校前駅踏切付近に設けられた「撮影?」スペース。
湘南を舞台にした漫画や映画ですと、私自身はむしろ『海街diary』の方が強く印象に残っています。もっと古い話をすれば、『ホットロード』は名作でしたね。妹が2人いるおかげで、私は少女漫画にも詳しいのです。
何はともあれ、それくらい「絵」になる風景です。この辺りの歩道はあまり広くはないうえに人も信号も多く、あまり走りやすいとは言えません。それでも、青い海、白い波、その向こうには富士山がくっきりと姿を見せてくれています。
葛飾北斎の『神奈川沖浪裏』のような構図です。世界の芸術史においても重要な意味を持つ場所のひとつと言えるでしょう。そんな風景を眺めながら走れるのですから、文句があろうはずもありません。

大英博物館が所蔵する「葛飾北斎コレクション」の特別展覧会入口(2023年米国バウワーズ博物館)。
江の島を通り過ぎてからは砂浜を走り、鵠沼海浜公園で夕陽の時刻を待ちました。英語で”Golden Hour”という表現がありますが、やはり景色がもっとも美しくなるのは日の出と日の入り前後の数時間でしょう。
期待通りの「輝かしい時間」を過ごすと、あたりは急激に暗く、そして寒くなりました。でも、そこから小田急江ノ島線の鵠沼海岸駅は徒歩10分ほど。ジョグで行けば数分で駅に着き、すぐに来た電車に乗れました。この辺りに住んでいる人にとっては当たり前なのかもしれませんが、この公共交通網の便利さはつくづく驚異的です。
2日目:箱根・金時山登山口~長尾峠~丸岳~乙女峠(約10km)
1日目は海でしたので、2日目は山に行こうと決めていました。とは言っても、季節は真冬。富士山は閉山していますし、そもそも私には雪山登山をするような技術も経験もありません。富士山そのものに登るのではなく、別の角度から山容を眺めてみようというわけです。
今回は一応ネットで下調べをしました。「箱根 富士山を眺める ハイキング」で検索をすると、金時山が上位にヒットしました。金太郎伝説で有名な山ですね。標高1,212m、往復にかかる時間は2~3時間、山頂からはきれいな富士山が見られます、ということでした。
藤沢から小田原までJR東海道線で約30分。そこからバスで金時山登山口まで約40分というアクセスの良さも魅力でした。その日の夕方には藤沢滞在の本来の目的だった用事があり、午後4時頃までにはホテルに戻っていたかったのです。
用意周到とはほど遠いにせよ、私にしてはこれでも計画を立てた方です。そして金時山登山口と書かれたバス停に降り立つときまでは、物事はすべて思惑通りに進んでいました。
第一の誤算は、バスを降りた国道138号線のどこにも、登山口への案内らしきものを見つけられなかったことです。それが当たり前のことなのか、珍しいことなのかは分かりませんが、私はいささか途方にくれました。
たぶん、きちんとした登山家なら、ここで地図やコンパスを駆使して、行くべき方向を見つけるのでしょう。第二の誤算は、私が「よく分からないけど、とりあえず走り出してみよう。そのうちに案内板でも出てくるだろう」なんて安直に考えてしまう性格だったことです。
結論として、私が向かった方向は金時山へ完全に背を向けていました。たしかにしばらく走ると案内板が出てきましたが、そこに印された「現在地」を見ると国道を境にして金時山の反対側に来てしまっていたことが分かりました。
ここで来た道を引き返す、という選択肢もありました。走り出してからまだ20分も経っていなかったからです。
第三の誤算も私のいい加減な性格にありました。「まあいいか。同じ道を行くのも面倒だし、このまま進もう。どこかでテキトーにやめたらいいや。バス停とかそのうちに出てくるだろう」と考えてしまったのですね。

赤:本来の目的地だった金時山。青:筆者が実際に辿ったルート。
しばらくすると舗装された道路は終わり、登山道へと入っていきました。さほど険しいわけではありませんが、数日前に降った雪が残っている部分もあり、だんだんと走るより歩く局面が多くなっていきました。

長尾峠へ向かう登山路。
長尾峠という地点に着くと、今度は丸岳、乙女峠という地点が先にあることが分かりました。これらも富士山を見るスポットとしてネットで紹介されていたことは記憶にありましたし、そのこと自体は間違っていませんでした。
確かに木々の向こうに富士山はきれいに見えました。ただ、山頂付近を覆った雲がどうしても動いてはくれませんでした。

長尾峠近くの富士山展望台からの眺め。あともう少しで最高! だった。
そんなわけで、トレイルラン、あるいはハイキングとしては上々だったのですが、富士山の眺望はやや物足りない1日となりました。乙女峠から国道へと戻り、やってきたバスに乗って、御殿場経由で藤沢へ戻りました。
3日目:鵠沼海岸~辻堂~江の島(約5km)
日曜日の早朝6時頃、藤沢駅から小田急江ノ島線に乗ろうとした私は仰天しました。まだ夜も明けていないというのに、ランナー姿の人たちでホームは溢れ、まるで平日のラッシュアワーのように混みあっていたのです。
藤沢市在住の皆さんはそれくらいランニングに熱心なのです、なんてことではなく、たまたまその日は「湘南藤沢市民マラソン」の開催日だったのですね。それにしても、日曜の早朝に満員電車に乗る羽目になるとは思いもしませんでした。
スタート・ゴール地点の江の島に向かう皆さんとは分かれ、私はひとつ手前の鵠沼海岸駅で降車しました。ここで大学時代の友人と待ち合わせをしていたのです。
毎朝のように湘南の海岸を走り、すばらしい景色の写真をたびたびSNSに投稿しては、私を羨ましがらせてきた友人です。というか悪友なのですが、今回のマラニックを考えついたこと自体、彼の影響が大であることは否定できません。
鵠沼海岸から西の方向に富士山が見えます。初日の夕方に見たときと同じ場所なのですが、朝陽を反射して輝く姿はまた格別でした。毎朝これを見ている友人にはそれほどの感動はないようでしたが、私の方と言えば「うわー」とか「すげー」とか思わず声を上げてしまったほどの絶景です。

朝陽に輝く富士山。
真冬の早朝。さすがに砂浜は人がまばらでしたが、それでも多くのサーファーが海に入っていました。ウェットスーツを着ているとはいえ、さぞかし水は冷たいでしょう。すごいなあと感心します。
私たちも今でこそ早朝ランというきわめて健康的な趣向で会うようになりましたが、大学時代にはまったくそんな傾向はありませんでした。彼のアパートは友人たちのたまり場のようになっていたのですが、毎晩浴びるように酒を飲み、灰皿にしていた空き缶はタバコの吸い殻が燻っている。言い訳するわけではありませんが、そんな時代でした。
私は、訳があって高校に入学してから卒業するまでに4年半を費やしましたので、大学入学時には20歳になっていました。彼の方は現役ストレート合格組なので、あの頃はまだ初々しい10代だったはずです。もっとも本人たちにとっては18歳も20歳も大した違いはなく、どちらが「成人」でどちらが「未成年」という意識はありませんでした。
そんなどうでもよい思い出話を書くのは、未成年者の飲酒や喫煙をあたかも重大事のように問題視する昨今の風潮は、いささか行き過ぎではないかと考えるからです。
なぜなら、人間、変われば変わるし、変われるものだからです。若いうちにニコチンやタールやアルコールを摂取することが心身に良くないのは自明の理ではありますが、後になってその悪影響を体から追い出すことは十分に可能です。少なくとも、私も友人も現在は毎日こうして走り回れるほどには健康です。
むろん、その後に生活態度を改めさえすれば、という条件はあります。そのためには、あまり若い人を追い詰めない方がよくはありませんか。少しだけ早く飲酒や喫煙をしたくらいで、謹慎やら活動停止やらといった過剰なペナルティを課すのではなく、たとえば1週間のトイレ掃除当番とか海岸のゴミ拾いとかをやらせた方が、本人にも社会にも好ましい結果を生むのではないでしょうか。
思わず脱線しました。走りながらそんな話をしていたのです。ランの話に戻ります。まず鵠沼海岸から富士山の方向へ向かい、砂浜ランに慣れていない私がそろそろ疲れたよと言い出した辻堂あたりで引き返しました。その後は走ったり歩いたりしながら江の島まで足を延ばすと、ちょうど「湘南藤沢市民マラソン」がスタートする時刻でした。

「湘南藤沢市民マラソン」スタート直後。
ランナーの皆さんを見送った後、片瀬江ノ島駅で友人と別れました。竜宮城を模したという奇妙な(としか私には思えないのです)デザインの駅舎です。私のような観光客はともかく、通勤や通学にこの駅を日常的に利用する地元の人たちがどのように感じているのかは知りたいところです。

片瀬江ノ島駅。
何はともあれ、楽しい2泊3日でした。車だと駐車した場所に戻ってこないといけませんが、すばらしい日本の公共交通網のおかげで、好きなときに好きなところを走って、疲れたら電車やバスに乗って帰るという「旅」を満喫できました。
自由に楽しみながら走ることを「マラニック」と呼びます。マラソンとピクニックを合わせた造語です。なかなか上手い表現だとは思いますが、どうやらこの言葉自体は和製英語のようです。そして日本こそマラニックにもっとも適した場所ではないでしょうか。