空腹状態のランニングが流行るわけ。そのメリットとデメリット。
アメリカ・カリフォルニア州に在住し、同州の高校でクロスカントリー走部のヘッドコーチを務める角谷剛氏による連載コラム。今回は、空腹でのランニングのメリットとデメリットについてご紹介します。ランナーの中には、気になっている人も多いのではないでしょうか。
古今東西の映画から、もっとも好きな作品を選べと言われたら? 私にとってのそれは、『フォレスト・ガンプ/一期一会』(ロバート・ゼメキス監督、1994年公開)です。そのなかでも、主人公フォレストがひたすらアメリカ大陸を走り続けるシーンが、もっとも強く印象に残っています。共感してくれるランナーは多いのではないでしょうか。
地平線が見える大平原、清冽な川の流れ、雪を抱いた山脈、長い柵が続く牧場、紅葉に染まった森林。そんな北米大陸の美しい景観をバックに走り続けるフォレスト。そのシーンの一部でBGMに使われていたのが、ジャクソン・ブラウンの名曲『Running on Empty』です。
曲タイトルを直訳するならば、「空っぽで走る」になるでしょうか。ブラウンは、ガソリンが切れたクルマで走ることを比喩的に表現したらしいのですが、私はこれを「腹ペコで、自分の足で走る」ことだと解釈しています。さらに言えば、予定を立てずに、何も持たずに、心身ともに無の状態で(フォレストのように)走ることです。おいおいマジかよってブラウンには言われるかもしれませんが、きっとゼメキス監督も私に同意してくれると思います。
ちなみに、公式な日本語訳タイトルは「孤独なランナー」。悪くはないけど、ちょっと平凡というか、ひねりがないかな、なんて思います。
それはともかく、クルマにしろ、人間にしろ、動くためには燃料が必要です。空っぽでは走れません。しかし、あえてその燃料が欠乏した状態、つまり空腹状態で走る「空腹ラン」、あるいは「断食ラン」が、ここ最近、英語圏のランナーたちの間で注目を集めています。そのことは”Fasted Running”で検索していただけるとよく分かります。
空腹ランとファット・アダプテーション。
空腹や断食とはいっても、それほど本格的なものではありません。食事と食事との間の時間を長くする、いわゆる「インターミッテント・ファスティング(断続的断食)」と組み合わせて実践するケースがほとんどです。夕食を早めに済ませ、翌朝は固形物を何も口にせず(水分は摂取します)、そのままランニングに出るわけです。
空腹ランの狙いはいくつかあります。その第一は、 脂肪を効率的に使えるように身体を適応させることです。
人間の身体は通常、糖質(グリコーゲン)をエネルギー源として優先的に使います。ところが空腹で走ると、体内の糖質が不足しているため、脂肪を燃やしてエネルギーに変える「ファット・アダプテーション」が促進されると考えられているのです。
アメリカ・テキサス大学の研究(*1)では、グリコーゲンが枯渇した状態では、脂肪酸の利用効率が高まることが確認されました。また、イギリスのバース大学の実験(*2)では、朝食を抜いて走ったグループの方が、食後に走ったグループよりも脂肪燃焼量が高かったことが報告されています。
こうした研究から、「空腹ランを続けることで脂肪燃焼効率が改善し、レース後半でもエネルギー切れを起こしにくくなるのではないか」という仮説が広がり、多くのランナーが試しているのです。
糖質ではなく脂肪からエネルギー源を優先的に生み出すことができれば、とくに長距離を走るランナーには大きな恩恵があります。なぜなら、レース中の栄養補給が不要になるかもしれないのです。
たとえば、体重60kgのランナーがフルマラソンを完走すると、約2,500〜2,700キロカロリーを消費すると言われています。ところが、体内に貯蔵できる糖質は通常2,500キロカロリーくらい。つまり、糖質だけではフルマラソンを完走することは難しいですし、ウルトラマラソンとなるとなおさらです。
そのため、事前のカーボローディングやエイドステーションでの補食、さらには走りながらエネルギージェルを摂取するなど、長距離ランナーたちはさまざまな栄養補給対策を実践してきました。しかし、脂肪をエネルギー源として活用できるのであれば、その必要はなくなるか、あるいは小さくなります。
なぜなら、脂肪は非常にスリムな人でも50,000キロカロリーほどが体内に貯蔵されていると言われていて、ほぼ無尽蔵とも呼べるエネルギー源なのです。ならば最初から脂肪を使って走ればよさそうなものですが、そうは簡単にいかないのは前述した通りです。脂肪を効率よく活用するためには、ファット・アダプテーションという適応を経なくてはなりません。
レース志向の長距離ランナーでなくても、空腹ランはダイエットにも有効だと考えられています。空腹時はインスリンの分泌が抑えられており、脂肪の分解がスムーズに進むため、体重が落ちやすくなるからです。
空腹ランのデメリットとは。
一方で、空腹ランにもデメリットが生じる可能性はあります。まず、トレーニングの強度を上げにくいこと。筋肉に十分な糖質が蓄えられていない状態では、スピード練習やインターバル走のような高強度トレーニングをこなすのが難しくなります。結果として、「練習の質」が落ちてしまうことになります。腹が減っては戦はできないのです。
さらに、懸念されるのが筋肉量の減少です。糖質が不足すると、身体は筋肉を分解してエネルギーにしようとします。オーストラリアのある研究(*3)によると、長期的に糖質不足の状態でトレーニングすると、筋分解のリスクが高まるということです。
つまり、空腹ランは長く走り続けるための持久力を向上させることには向いていますが、パワーやスピードは落ちてしまうかもしれないのです。自分にとって重要な運動能力はどちらか、という問いが空腹ランを導入する前に必要になってくるでしょう。
持久力もスピードもどちらも欲しい、という欲張りなランナーは、朝に空腹ランを済ませて、食事をしっかり摂ったあと、午後にスピード練習をすることが一般的なようです。
個人的体験から。
私が空腹ランに注目するようになったきっかけは、息子が所属していたクロスカントリー走部が、夏休み中に行っていた朝練でした。彼らの練習は朝7時に始まります。それから10km以上の距離を走ることも珍しくありません。
最初のうち、息子は早起きをして朝食を食べてから練習に行っていました。しばらくすると、何も食べずに家を出るようになりました。理由を聞くと、「朝食を食べると走っているときにウンコがしたくなる」というのです。思わず笑ってしまいましたが、本人にとっては切実な問題だったようです。
動機が何であれ、そうやって空腹の状態で走り続けているうちに、息子の体はみるみるうちに引き締まって、いわゆるランナー体型になっていきました。タイムもどんどん向上していきました。
そうなると、私も真似をしたくなり、いつのまにか朝食の前に走ることが日常になっていったというわけです。息子も私自身も、心配していたように「お腹が空いて走れない」となったことは一度もありません。むしろ体が軽い分だけ走りやすく、少なくともお腹が重い状態よりはるかに快適です。
走り出す前に朝食を食べる時間を気にしなくてよいので、忙しい人にとっては時間的な効率もよいでしょう。私自身はまったく忙しくはありませんが。
空腹ランがランナーとしての実力向上に寄与するかどうかは、私自身にとっては微妙です。自己最速タイムを更新したわけではありませんし、体重もほとんど変化はないからです。加齢の影響を考慮に入れると、現状を維持できているだけでも、効果は出ているのだと考えるべきなのかもしれません。少なくとも逆効果はないようです。
ただひとつ、フルマラソンくらいの距離なら、食べ物の心配をしなくてもよくなったことは、私にとっては大きな変化でした。それ以前はレースの前にカーボローディングを試したこともありましたし、エネルギージェルを何個もポーチに入れて走っていたこともあります。それらがすべて不要になった。より身軽で、より自由になった。フォレスト・ガンプに一歩近づいた。それが私の偽らざる感想です。
参考文献・研究
*1. Coyle, E. F., et al. (1983). Muscle glycogen utilization during prolonged strenuous exercise when fed carbohydrate. Journal of Applied Physiology.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/6867092/
*2. Gonzalez, J. T., et al. (2015). Breakfast and exercise contingent feeding alters postprandial lipid metabolism. Journal of Clinical Endocrinology & Metabolism.
https://academic.oup.com/jcem/article/100/2/547/2815286
*3. Stannard, S. R., & Thompson, M. W. (2008). The effect of participation in triathlon training on muscle glycogen utilization. Sports Medicine.
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/18278987/