進化するスマートウォッチのランナー向けデータとはまり過ぎに注意。
アメリカ・カリフォルニア州に在住し、同州の高校でクロスカントリー走部のヘッドコーチを務める角谷剛氏による連載コラム。今回は、ランナーの必需品ともいえるスマートウォッチの、「今さら聞けない」ランナー向け機能とその使い方にフォーカス。意外な落とし穴についてもご紹介します。
ランナー向けのTシャツには、思わず吹き出してしまうような面白いメッセージを書いたものも多くあります。私がもっとも気に入っているのは、“If you see me collapse, pause my Garmin”(もし私が倒れているところを見つけたら、ガーミンを停止させてください)というものです。走るときには必ずランニングウォッチを着用して、走った距離やペースを記録しないと気が済まないランナーは世の中に実に多いのです。
最近は専門のランニングウォッチだけではなく、Apple Watchに代表されるスマートウォッチでもランナー向けの機能が充実してきました。腕時計を忘れると走る気がしない。そんなランナーがさらに増えてきているような気がします。
実際のところ、最近のスマートウォッチが提供してくれるデータの多様性と深度には目を見張るものがあります。走行距離、ペース、累計標高差などはむろんのこと、心拍数の推移も、さらにはランニング・エコノミーをさまざまな角度で解析する専門的な指標までもが含まれます。
こうしたデータを上手く活用すれば、まるで専属コーチをつけたようなものなのですが、せっかくのデータも意味をよく理解していないか、あるいは最初から無視してしまっているランナーも少なくありません。
そこで今回は、「今さら聞けない」スマートウォッチのランナー向け機能とその使い方を、主にApple Watchを例にとって簡単に解説します。あくまでも初心者用ですので、そんなことは今さら聞くまでもない、という上級ランナーはどうぞ別の記事に移ってください。
ランナーにとっての心拍数とは?
スマートウォッチの多くは、睡眠パターンや消費エネルギー量といった健康関連データを提供しますし、さらには血圧や血糖値のような医学的なデータまで取得できると謳う製品もあります。便利な反面、そうしたデータには信憑性はあるのか? という疑問は多く、それに関する研究も数多く行われています。
スタンフォード大の医学者らがApple WatchやFitbitなど9つの代表的なスマートウォッチやフィットネストラッカーの製品を比較調査した研究(*1)によると、なかには全然信頼できないデータがあるものの、もっとも正確性の高いデータは心拍数だったそうです。
心拍数はBPM(Beats Per Minute)という単位で表示されます。心臓が1分間に拍動する回数のことです。これに関しては、大抵のスマートウォッチは概ね正確な数値を把握できるようです。
スマートウォッチを手首に巻いて走ると、走っている最中や走り終えた直後の心拍数をリアルタイムで見ることができます。
私の父は77歳でフルマラソンを完走したことがあり、ランナーズが毎年発表している年齢別の日本100傑ランキングにも入ったことがあるスーパーエリートランナー(自称)なのですが、レース中は、ガーミンに表示される心拍数が一定の数値を超えるとペースを落とすという方法でペースを管理するそうです。最近のシニアは最新ガジェットも使いこなすので侮れません。
リアルタイムの心拍数の他にも、スマートウォッチはランナーが活用できる心拍数関連のデータをさまざまな角度から提供してくれます。
・最大心拍数
運動をすれば心拍数は上がりますが、それには限界があります。人にはそれぞれ最大心拍数というものがあり、一般的には「最大心拍数=220-年齢」という計算式がよく用いられます。むろん、これは平均的な推定値です。最大心拍数には個人差がありますし、年齢にかかわらずトレーニングで増やすこともできます。
いささか乱暴な方法になりますが、これ以上は無理だというペースで走ったときの心拍数が、すなわち自分の最大心拍数だと考えてよいでしょう。
その最大心拍数の何%程度かによって、運動の強度を測ることができますし、目的に応じたペース配分にも利用できます。
たとえば、高強度のインターバル走なら最大心拍数の90%以上をターゲットにする、ダイエットのために走るなら最大心拍数の60%ぐらいのペースが脂肪燃焼に最適だ、という具合です。
・安静時心拍数
じっと安静にしているとき、逆に言えば運動していないときの心拍数のことを安静時心拍数と呼びます。健康な成人であれば、およそ毎分60~100bmpが正常値だとされています。
一般的には、心肺能力が高い人はこの安静時心拍数が低くなる傾向があり、マラソンランナーなどは、この数値が40bmp以下になることもあるそうです。
・心拍数回復
運動をすることによって上昇した心拍数が、運動を止めた後にいかに速く通常に戻るかを示す指標が、心拍数回復です。
たとえば、400m走を1分間の休憩を挟んで4本行うリピート走をしたとして、1本目を走り終えてから2本目に入るまでにどれだけ心拍数を下げられるか、という能力のことです。
健康な心拍数回復の基準数値は、1分後が13bpm以上、2分後が22bpm以上だと言われています。
・VO2max(最大酸素摂取量)
人は身体を動かすときに酸素を必要とします。その酸素を運動中に利用する能力を示す指標が、最大酸素摂取量(VO2max)です。
VO2maxは、ml/kg/minという単位で表されます。普通の人で40~50、ちょっとしたスポーツマンなら50~60、競技者レベルのランナーなら70を越える人も珍しくありません。
VO2maxの値が高ければ高いほど、そのアスリートは有酸素運動においてエネルギーを効率よく利用でき、かつ回復も早く、つまりは高い心肺能力の持ち主だということになります。
もっとも、Apple Watch を含むスマートウォッチで表示されるVO2maxの数値はあくまで推定値ですので、正確に測定するためには専門施設に行く必要があります。
ランニング・エコノミーの可視化
上に挙げた心拍数関連のデータは、一般的な健康管理にも有用です。最近のスマートウォッチは、さらにランナー専用の機能も備えるようになりました。
たとえば、watchOS 9(2022年9月更新)以降のApple Watchでは、パワー、ピッチ、歩幅、接地時間、上下動など、ランニング能力を測るための指標が追加されました。こうしたデータを利用することによって、ランニングフォームの効率性を改善する方法を探すことができます。
・パワー(Power)
ワット数(w)で表されます。一歩前へ進むために生み出されるパワーのことです。速く走るとパワーは大きくなります。当然ですが疲れます。逆に言うと、同じペースや心拍数で走るならば、パワーの数値が少なければ少ないほど、効率的なランニングフォームだということです。
・ピッチ(Cadence)
1分ごとの歩数(SPM – Steps per Minute)のことです。長距離ランナーにとって最も効率が良い数値は180 SPMだと言われていますが、個人ごとの身長、体重、そしてランニング能力などさまざまな要素によって異なります。そこで、自分にとって最適のピッチ数をスタートからゴールまで維持できるように練習するわけです。
・歩幅(Stride Length)
人は、走るときに両足が地面から離れる瞬間があります。その間に前へ移動するので、その移動距離が長ければ長いほど速く走れるわけですが、上のピッチ数が少なくなってしまえばスピードは相殺されてしまいます。極端な話、ジャンプすれば歩幅は広がりますが、それでは走り続けることはできません。フォームが乱れると歩幅も変化します。いかにフォームを一定に保てるかが重要です。
・接地時間(Ground Contact Time)
足が地面に着いている時間のことで、ミリ秒(ms)で表されます。一般的なランナーの数値は200ms~300msだと言われていますが、競技ランナーになるほど小さくなります。走るとは、足を空中に引き上げてから地面に下ろすことを繰り返す動作です。その際に接地時間が短くなればなるほど、速く走ることができるということです。
・上下動(Vertical Oscillation)
走るときに体が垂直に上下する距離のことで、センチメートル(cm)で表されます。一般的なランナーの数値は大体6cmから13cmの間だと言われています。走るとは水平方向に移動することなので、縦に動く動作はなるべく小さくしなくてはなりません。従って、この数値が小さければ小さいほど良いランニングフォームということになります。
メンタルヘルスへの逆影響
以前なら専門施設でしか得られなかったデータを、スマートウォッチを着用することによって得ることができる。そのメリットは計り知れないほど大きいはずです。
その反面、これらの数値を過度に気にするあまり、かえってメンタルヘルスに問題が生じることや、生活習慣の悪化に繋がることもある。そんな気になる事例もいくつかの研究で示唆されています。
2023年1月に、スタンフォード大学の研究者らが発表した研究(*2)では、Apple Watchが示す歩数の数値が、心身の健康に及ぼす影響を調べました。
被験者たちは5週間の観察期間中にApple Watchを与えられ、1日に歩く歩数を報告することを求められました。しかし、実験上のトリックがありました。あるグループには人工的に操作された歩数が表示され、別のグループには正確な歩数が表示されたのです。むろん、そのことは被験者たちには知らされていませんでした。
すると、実際より低い歩数を表示されたグループは、自己肯定感の低下や血圧上昇といった悪影響が生じました。せっかく健康のために歩いた成果が、Apple Watchの数値を気にすることで台無しになってしまったのです。
一方で、正確な歩数か実際より多い歩数を表示されたグループには、そうした現象は起こりませんでした。
実際の運動量にかかわらず、Apple Watchで示されたデータによって、心身の健康に悪影響を及ぼすこともあるというのです。
2019年に英国の心理学術誌『BMC Psychology』に発表された研究(*3)では、何らかの理由でスマートウォッチを着用できないとき(例:バッテリー切れ、置き忘れ)、ユーザーが苛立ちや不安を募らせることがあることを警告しています。
健康のためにスマートウォッチを購入したはずの人が、かえって心理的なストレスを増やしてしまう本末転倒のケースです。
何事も過度な依存はよくありません。几帳面な人や心理的なプレッシャーに弱いと自覚する人はとくに、ランニングウォッチやスマートウォッチの利用には注意が必要なようです。
・参考文献
*1. Accuracy in Wrist-Worn, Sensor-Based Measurements of Heart Rate and Energy Expenditure in a Diverse Cohort
https://www.mdpi.com/2075-4426/7/2/3
*2. Effects of Wearable Fitness Trackers and Activity Adequacy Mindsets on Affect, Behavior, and Health: Longitudinal Randomized Controlled Trial.
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC9909519/
*3. Anxious or empowered? A cross-sectional study exploring how wearable activity trackers make their owners feel.
https://bmcpsychology.biomedcentral.com/articles/10.1186/s40359-019-0315-y