生涯現役を体現する伝説の女性ランナーたち。

“2014 Boston Marathon Elite Women” by Kinchan1 is licensed under CC BY 2.0.
アメリカ・カリフォルニア州に在住し、同州の高校でクロスカントリー走部のヘッドコーチを務める角谷剛氏による連載コラム。今回は、マラソンを走る伝説の女性ランナーたちをフィーチャーします。元世界記録保持者のポーラ・ラドクリフさんや、女性で初めてボストン・マラソンを走ったキャサリン・スウィッツァーさん、日本よりも英語圏で有名な日本人ランナーの弓削田眞理子さんたち。世界には、生涯現役を体現する女性ランナーたちが今も走っています。
3月2日に開催される第18回東京マラソン。こちらのウェブサイトをご覧になっている方のなかにも、参加予定のランナーがたくさんおられると思います。
スタート前、あるいは走り出した後でも、余裕があれば周りを見渡してみてください。3万人を超えるであろう一般ランナーのなかに、ひょっとしたら伝説のランナーが混じっているかもしれません。女子マラソンの元世界記録保持者、ポーラ・ラドクリフさん(イギリス)が、今年の東京マラソンとボストン・マラソンに出場すると自らのポッドキャストで表明しているのです。
ラドクリフさんが、2003年に地元ロンドン・マラソンで樹立した2時間15分25秒という驚異的なタイムは、その後16年間も女子マラソンの世界記録であり続けました。最後に走ったマラソンは2015年のやはりロンドン・マラソン。今から10年前のことです。そのときのタイムは2時間36分55秒でした。
ラドクリフさんのインスタグラムには、「現在でも楽しむために走っている」とあります。彼女にとっての楽しみとは、ひょっとしたら1キロ4分以下のペースで何10kmも走ることなのかもしれませんが、とにかく51歳になったはずの現在でも見事なランナー体型を保っています。
ラドクリフさんのマラソン復活宣言は、英語圏のランニング関連メディアでは大きく取り上げられているのですが、日本ではあまり話題になっていないようです。東京マラソン公式ウェブサイトのエリートランナー一覧にもラドクリフさんの名前はありません。
もし誤報になったら申し訳ありませんが、東京マラソンでラドクリフさんの勇姿が見られることを願っています。51歳、2児の母が10年振りのマラソンレース復帰。すごいのひと言です。
ラドクリフさんの全盛期は、日本女子マラソンの黄金期と重なっています。調べてみると、2000年シドニー・オリンピックの金メダリスト高橋尚子さんは現在52歳、2004年アテネ・オリンピックの金メダリスト野口みずきさんは46歳とのことでした。ラドクリフさんとはまさに同世代です。この3人が一緒に東京を走るなんてことがあれば、きっと日本だけではなく、世界のマラソン界で話題を呼ぶことは間違いないでしょうね。どなたか高橋さんと野口さんを口説いてください。

“Paula Radcliffe in Berlin” by Christian Petersen-Clausen is licensed under CC BY-SA 3.0.
60代以上でも走り続ける女性ランナーたちの系譜。
東京マラソンには、昨年も女子マラソンのレジェンドたちが出場しています。そのひとりは、ジョーン・ベノイト・サミュエルソンさん(アメリカ)、66歳。オリンピックで女子マラソンが初めて正式競技となった、1984年ロサンゼルス・オリンピックで金メダルを獲得した人です。
ベノイトさんは2019年のボストン・マラソンにも出場し、61歳で3時間5分18秒という驚異的なタイムを記録しています。
さらに驚くことは、この世界にはそのベノイトさんより速い同世代の女性ランナーが存在することです。日本の弓削田眞理子さんは、2021年の大坂女子マラソンを2時間52分13秒で走り、当時の60~64歳女性マラソン世界記録を樹立しました。その弓削田さんの記録も、2023年にジェニー・ヒッチングスさん(アメリカ)がシカゴ・マラソンで記録した2時間49分43秒に更新されています。
世界で初めて60歳以上の女性によるフルマラソンのサブ3(3時間切り)を達成した弓削田さんは、日本よりむしろ英語圏で有名なランナーです。弓削田さんはその後も走り続けて、現在は65歳以上女性の世界記録を保持しています(3時間1分28秒)。この記録も2024年東京マラソンで樹立されたものです。
マラソンではありませんが、昨年には65歳以上女性の10km走で世界記録が破られたというニュースもありました。1984年ロサンゼルス・オリンピックの女性マラソン銅メダル、1988年ソウル・オリンピックでは金メダルを獲得したロザ・モタさん(ポルトガル)が、自身が1年前に記録した10kmタイムをさらに短縮させてみせたのです。
モタさんの新記録タイムは39分40秒。前半5kmを19分58秒、後半5kmを19分42秒というネガティブ・スプリットだったそうです。比較するのもおこがましいですが、私は5kmだけを思い切り走っても、モタさんには追いつけないかもしれません。

“Rosa Mota – Save the Dream Ambassador” by Save the Dream is licensed under CC BY 2.0.
ベノイトさん、弓削田さん、モタさんと同世代のマラソンランナーを探すと、日本ではたとえば瀬古利彦さん(68歳)や増田明美さん(61歳)という名前が出てきます。有森裕子さん(58歳)でもまだ若すぎるくらいなのです。
現役時代に頂点を極めたランナーが、引退後は競技連盟の重鎮やテレビ解説者になることをけっして否定するわけではありませんが、個人的にはランナーとしての挑戦を続ける方にはよりいっそうの敬意を抱きます。
歴史を変えた女性ランナー。
女性ランナーたちは年齢だけではなく、過去の偏見をも打ち破っています。今となっては信じられない話ですが、女性には長距離走は危険だとされ、マラソンレースから排除されていた時代は、さほど昔のことではないのです。
1967年のボストン・マラソンで史上初の同レース女性ランナーとなったキャサリン・スウィッツァーさん(アメリカ)が、レース中にコースから押し出そうとする競技役員から妨害を受けたことは有名です。そのときの写真はのちにライフ誌『世界を変えた100枚の写真』(2003年)のひとつに選出されました。
スウィッツァーさんのタイムは4時間を越え、トップレベルの競技ランナーではありませんでした。しかし彼女が真に偉大であるのは、その後の半世紀以上に渡って走り続けたことです。スウィッツァーさんは2017年のボストン・マラソンに出場し、50年前からわずかに24分遅いだけの4時間44分31秒で完走しました。70歳で、です。

“Running females marathon Rotterdam” by Peter van der Sluijs is licensed under CC BY-SA 3.0.
スウィッツァーさんのような先駆者たちのおかげで、マラソンは年齢、性別、そして競技レベルにかかわらず、全員が同じ場所で、同じ時間に、同じ条件で、競技を行う数少ないスポーツに発展しました。俺も頑張らないとな、と思わせてくれる彼女たちに感謝しつつ、これからも走って行こうと思います。