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COLUMN

キプサング・世界は遠い

2018.03.14
Shun Sato

マラソンにおける世界のベスト50まではアフリカ勢が占めています。とりわけケニア勢が強くて、世界トップ10の内8人が彼らでエチオピア勢は2人。2時間02分57秒の世界トップの記録を持つデニス・キメット選手もケニア出身です。ナイキが「BREAKING 2」でマラソンの2時間切りにトライしていますが、アフリカ勢が中心となってサブ2が実現するのは、そんなに遠くないような気がします。

日本人選手は同じ人間ですが、彼らの世界には、まだ及びません。レース会場などではアフリカ勢との違いについてよく話をするのですが、「もともと骨格や筋肉の付き方が違うからなぁ」「レースでのし上がるハングリー精神でしょ」「高地とか環境の違いですね」等々、いろいろ意見が出てきます。どれももっともですが、骨格、肉体的な構造の違いなど遺伝子レベルの違いを嘆いていても何の解決になりませんし、面白くありません。もうちょっと目線を下げて、世界のトップレベルの選手は何しているのか。何を食べて、どんな練習して、どう日々を過ごしているのか。普通のことですが、走ることは普通のこと。しかも長距離は日々の積み重ねとよく言われます。選手の日常を見ることで“強さ”の要因が分かり、日本人が早く走れるようになる何かが見えてくればいいかなぁと、そんなことを思っていました。

アディダス契約アスリートのウィルソン・キプサング選手は、昨年東京マラソンで2時間03分58秒という日本国内最高記録で優勝。自己ベストは2016年のベルリンマラソンで出した2時間03分13秒。35歳だけど、バリバリの世界のトップランナーです。残念ながら今回の東京マラソンは体調が悪く、DNSになりましたが、その姿には世界一流のオーラを感じました。

キプサング選手の1日のスケジュールは、普通のランナーと違いがありません。朝5時30分に起きて、朝練習して、休憩して、午前10時から練習して、休息して、午後に練習。1日1回の練習の時もあれば2回の時もあるそうです。ケニアのイテンでホテル経営をしているので、合間に仕事しています。午後11時には就寝して、日曜日はノーランで友人や家族と過ごすそうです。

1週間の走行距離は120マイル(約190キロ前後)。キプサング選手曰く「これがマックス」だそうで「日本人選手は走り過ぎ、トレーニングやり過ぎ」ということらしいです。ストイックに1年365日、走ることに集中し、相当走っているのかなと思いきや、そんなにガツガツしていないんですね。距離を踏まずして、何を意識して走ればいいのか、気になりますが、「スピードを意識して」ということでした。確かに今のマラソンは高速化し、スピードがないと勝てません。箱根駅伝で優勝を狙う東海大もスピードを高めて、その力を長距離に活かすアプローチで強化しています。そのスピードを意識した特別なメニューがあるのかなと思いきや、2000m6本を1000m10本にして1本の質を高めて走る。量じゃなく「質が大事」だということですが、目新しいことはありません。

食は、どうかというとケニアでは基本的にスパイスも油も使用せず。ウガリというコーンミールなど穀粉を練ったものが主食で、たまにパスタや米を摂るそうです。それであれだけのパワーを発揮するから驚きです。レース1週間前程度ならできそうですが、食をマネしても逆にストレスになりそうで日本人には難しいですね。

今という日常を見ていると日本人選手とやっていることは変わりません。練習の質は違うと言われればそうなのかもしれませんが、同じような練習をしてきて何が違うのでしょうか……。

「マラソンを走る前、時間をかけてマラソンを走る体を作ってきました」

キプサング選手の強さの秘密は「今」ではなく、マラソンを走るまでのプロセスにあったわけです。キプサング選手がマラソンに転向したのは28歳の時で、ちなみにケニアでは26歳前後でマラソンを始めるそうです。キプサング選手はちょっと遅いスタートになりましたが、それまでハーフやクロカンを走っていたそうです。もっと前からマラソンに興味があったらしいですが、ビルドアップする時間を十分に取り、ハーフなどでマラソンの感覚を養い、満を持してマラソンへと段階を踏んだのです。それがマラソン転向後の伸び代に繋がり、世界のトップランナーになれた要因というわけです。

日本では、今回の東京マラソンで神奈川大の鈴木健吾選手が走って話題になり、2時間10分21秒と初マラソンでは上出来の結果を出しました。年齢的にマラソンへのアプローチが早くなってきていますが、キプサング選手は体の準備をしてからマラソンに挑戦するのが理想だと言います。うさぎと亀の物語ではないですが、最初はノロノロ走っても地道に力をつけていって、最後に花を咲かせればいいということなのです。今はスピードの時代でなんでも手っ取り早くと思いがちですが、そういう流れにキプサング選手は警笛を鳴らしてくれているんですね。

日々の生活、練習、大会への意識を含めて、キプサング選手は、極めて自然体で走ることに向き合っているのが分かります。ただ、この自然体でいるというのも実は難しく、そのためには強いメンタルが必要なわけです。早く走るためには、次から次へと必要なものがぽろぽろ出てくるわけで、その完成品がキプサング選手のようなトップアスリートになのでしょう。

日常は近く、しかし世界は遠いのです。

Shun Sato
佐藤俊
北海道生まれ。青山学院大学経営学部卒業後、出版社を経て93年にフリーランスに転向。現在はサッカーを中心に陸上(駅伝)、卓球など様々なスポーツや伝統芸能など幅広い分野を取材し、雑誌、WEB、新聞などに寄稿している。著者に「宮本恒靖 学ぶ人」(文藝春秋)、「駅伝王者青学 光と影」(主婦と生活社)など多数。
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