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RRC: これまで挫折を味わったことがなかったエリートが、勝田マラソンでサブ4を達成して流した涙のワケ

2019.02.12
RED RUN CLUB TOKYO
RED RUN CLUB TOKYO
2014年、東京から新しいランニングカルチャーを発信すべく立ち上げたランクルーです。「走るからには、速くなりたい。走るからには、負けたくない。」をモットーに、スピードとスタイルの両面を追い求めるクルーを標榜しています。フルマラソンからトラックまで、各メンバーの目標レースに向けて、毎週皇居付近に集まり、インターバル走やペース走、タイムトライアルといったトレーニングを重ねています。 Instagram: @redrunclubtokyo

初めまして、RED RUN CLUB TOKYOの大村拓輝です。

みんなからはひろきと呼ばれてます。1993年生まれ。小学生からずっとサッカーをしてましたが、社会人になってからランニングを始めました。

今回は先日の勝田マラソンのレポートをお送りします。

 

社会人になってから、初めて嬉し泣きした。

3度目のフルマラソンで、目標のサブ4(フルマラソンゴールタイム4時間切り)をようやく達成したのだ。

僕がランニングを始めたのは会社の影響だった。 僕の勤務している会社はランニングカンパニーということで、走っていない社員は殆どいない環境だった。

走ることが文化というくらいの会社で、更にランニング担当になったのだ。

走らずしてランナーの気持ちを知ることはできないので、 走り始めることは自然の流れだった。

しかし、僕がこれまで走ること自体に意味を求めたことは、人生において一度もなかった。

小学校から大学までずっとサッカー部だったので、サッカーのための体力づくり、という位置付けでしかなかった。

そんな中、フルマラソンに出場するきっかけになったのは、RED RUN CLUBとの出会いだった。

RED RUN CLUBが主催する仕事終わりの”ガチ練”に初めて参加した時のこと。

みんなそれぞれの目標を持ちながら、身体をフルに使って練習に本気で取り組んでいた。

学生時代の懐かしい部活っぽさと一体感を思い出しつつ、とても感動したのを覚えている。

そこで、メンバーの殆どがフルマラソン経験者であったのもそうだし、当時の直属の上司の言葉が決定打だった。

「この世には2パターンの人間しかいない ー フルマラソンを走ったことがある人間とない人間だ ー」by T.

そんな状況下で、こんなことを言われたら、走らない人間なんているだろうか?

とりあえず完走という目標を立てて、2017年の「富士山マラソン」に応募した。

このマラソンがどれだけきついかも知らずに。無知って恐ろしい。

富士山マラソンは、20kmを少し超えた辺りにとんでもない坂(というか山)があり、それが非常にきつかった。

更に、走り慣れてない僕の内臓が悲鳴を上げ、25kmくらいから吐きそうになり、歩きながら5時間弱で完走したのだった。

仲間からは人生初フルマラソン完走を労ってくれる言葉がありつつも、「RED RUN CLUBの中でビリ」というタイムを叩き出してしまったため、相当にいじられた。

いつも飄々とうまい具合に人生を進めてきた僕にとって、コミュニティーで”ビリ”になる、という経験が初めてだった。

とても悔しかったから『絶対サブ4して見返してやろう』とこの時、誓ったのだった。

サブ4への挑戦2回目は、つくばマラソンだった。

同じくつくばマラソンに出走し、サブ3.5を目指すメンバーがいたので、行けるところまでついていき、後半流してサブ4を狙うという作戦だった。まったくもって浅はかだった。

33kmまでついていくことができ、「今回はいける!」と思った瞬間、両太ももの裏表を同時に攣ったのだ。

そこからはゾンビのようにゴールまで這いずり、結果は4時間2分49秒。

ギリギリサブ4を達成できなかった。悔しさと共に、フルマラソンは甘くない、と感じたレースだった。

3回目の挑戦の舞台は、つくばマラソンの2ヶ月後の勝田マラソンが決まっていた。

2ヶ月しかないけれど、できる限りの準備をしようと決めた。

勝田マラソンの3週間前、RED RUN CLUBのメンバーと一緒に30km走を、目標ペースで走り切り、レースへの気合いが更に強くなった。

迎えた勝田マラソン当日。

雪が懸念されていたが、茨城は快晴で、気温は寒すぎず、暖かすぎず、コンディションは完璧だった。

足元にはナイキのヴェイパーフライ4%。

ポケットにはジェルを5本、足を攣らないための漢方も持った。

この日の僕はスタートラインに立った時から、ワクワクしていた。自然と「楽しみだな〜!」という言葉も出てきたくらいだった。

RED RUN CLUBのメンバーが多数出場する予定だった本大会は、家庭や体調の事情で、蓋を開けてみたら、僕とYuriさんの2人しか参加しなかった(笑)

序盤からどうしても飛ばしがちになってしまう僕に、『焦らず、ゆっくりいこう』と声をかけながら、5:20/kmのペースを保って、Yuriさんが一緒に走ってくれた。

沿道の声援を受け、Yuriさんという心強いペーサーと共に、ジェルも効率よく補給しながら、良いペースでレースを進めることができた。

しかし途中20km過ぎで、Yuriさんにアクシデントが発生!『あとは頑張って!いってらっしゃい!』と背中を押されてから、1人で走り出すことになった。

ここまで引っ張って行ってくれたことに、本当に感謝しながら、前を向いて走り出した時のことを鮮明に覚えている。

30km過ぎで手元のAPPLE WATCHの電池が切れた。

念の為iphoneのアプリも起動していたので、時間を見ることはできたが、ポケットから出すのも面倒なので、いい感じのペースで走っていたおじさんランナーについていくことにした。

驚いたのは、残り3kmの看板が見えた時、まだまだ脚が残っていたことだ。

それに安心感を覚え、最後は出せる限りの力を振り絞った。結果、4:34/kmのペースまで上げてFinishすることができた。

これが俗に言う、「ネガティブスプリット(前半ペースを抑え、だんだんとペースアップしてゴールすること)」だ。最後まで力を振り絞れたのは、紛れもなくヴェイパーフライ4%のおかげだと思っている。

ゴールして、記録表を受け取って、初めてタイムが分かった。

結果は、3時間44分47秒。

達成感に1人で涙が出てきた。社会人になって、初めての嬉し泣きだった。サングラスをかけていて良かったと思った(笑)

涙を流したのは、誰かに勝ったから、とか見返すことができたから、という想いから込み上げてきたのではない。

純粋に、『今まで頑張ってきたことが報われたんだ』と強く実感したからだ。

42.195㎞を走った疲労感と共に、その感動を身体全体の感覚を通して実感したからこその涙だったんだと思う。

身体をフルに使って、何かを達成する感覚は大人になってから初めて感じた。

部活を卒業してしまった今となると、なかなかない貴重な経験だと思う。

こんな経験をさせてくれるランニングと、支えてくれる仲間に感謝したい。

P.S.当分はマラソン走りません(笑)

 

 

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